黒田官兵衛から手紙をもらった前田利長も梅毒患者

優れた策士であった官兵衛ならではのエピソードなのですが、これが梅毒に冒されていたのであれば、話は変わってきます。つまり、梅毒性の錯乱によって、怒りっぽくなっていただけだったということになるわけです。また、官兵衛は梅毒の治療に水銀を服用したことで、水銀中毒にかかっていたという話もあります。

 狩野内膳作『南蛮人渡来図』(写真=CC-PD-Mark/Wikimedia Commons)
狩野内膳作『南蛮人渡来図』(右隻)神戸市立博物館所蔵(写真=CC-PD-Mark/Wikimedia Commons
本郷和人『恋愛の日本史』(宝島社新書)
本郷和人『恋愛の日本史』(宝島社新書)

前田利長(利家とおまつの方の長男。この人も梅毒を患っていた)に宛てた手紙のなかに、近頃は水銀を服用しているので調子がよい、という文言があるのです。

加賀藩の初代藩主となった前田利長は、織田信長の娘を正室にもらっています。つまり、主君の娘を嫁にする形になるわけです。その場合には、側室は持てないという暗黙のルールがあり、前田利長には側室がいませんでした。それも利長が世継ぎに恵まれなかった要因のひとつだったのかもしれません。

しかし、どうやら利長は側室を持てない鬱憤を遊女で晴らしていたようで、結局、梅毒をもらってしまったようなのです。その病気を理由に結局、利長はその後は女性と関係することができなかったようなので、やはり世継ぎは生まれなかったのではないかとも言われています。

本郷 和人(ほんごう・かずと)
東京大学史料編纂所教授

1960年、東京都生まれ。東京大学・同大学院で日本中世史を学ぶ。史料編纂所で『大日本史料』第五編の編纂を担当。著書は『権力の日本史』『日本史のツボ』(ともに文春新書)、『乱と変の日本史』(祥伝社新書)、『日本中世史最大の謎! 鎌倉13人衆の真実』『天下人の日本史 信長、秀吉、家康の知略と戦略』(ともに宝島社)ほか。