私が会食代を負担する理由

そして現在、私は夫から

「なんでいつも君が払うの?」

と聞かれるぐらい、いろいろな会食代を自分で払っています。

知り合い同士のお見合いをセッティングする食事会も、仕切った私が会計を負担します。そうして人のために何かおせっかいをしようとする時も、お金で思いとどまる必要はありません。ありがたいことに小金を稼げているからです。

お金が人を積極的にしてくれるということは、生まれながらのお金持ちにはわからない感覚かもしれません。私は母の言葉の正しさとお金のありがたみを、身をもって実感することが出来ています。

イタリア料理と赤ワインで乾杯
写真=iStock.com/kuppa_rock
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自分に遣ったお金は返ってくる

そんなに人のためにお金を遣って、どんな見返りがあるんですか、と聞かれることもあります。

たしかに、すぐに見えやすいかたちで何かがあるわけではないのです。長い目で見て、折にふれて助けてくれたり気にかけてくれたりするということはあるかもしれません。でもまあ、人のために遣ったお金にはあまり期待しない方がいいでしょう。私はただ病的におせっかいで、自分がしたいことをしているだけですから。

ただし、自分が好きなことに遣うお金は、遣ったぶんだけ返ってくると思っています。

バブルの頃には着物を随分買いましたが、その経験は時代小説を書く時に、着物を着た時の所作を描写するのにも役立っています。もっといえば、国内外の舞台や演奏会などを観るためのチケット代や一流店での食事代、旅行代など、知的好奇心を満たすために遣ったお金はすべて、遣った人の教養の一部になると思います。洋服だって気に入ったものを買うと自信がついて、人を積極的にさせてくれるのです。

私がよく引き合いに出す飛行機の座席の話にしても、ファーストクラスに一度でも乗れば、それがどういうものか知ることができます。その後の人生は、ビジネスクラスであろうがエコノミークラスであろうが臨機応変に乗り分ければいい。ファーストクラスに一度でも乗ったことがある経験と心の余裕は一生ものです。

ただし当然ながら、思うようにお金を遣うためには、とことん働いて稼がなければなりません。おまけに作家の仕事は入ってくるお金が読みにくいので、常に未来の収入への不安がついてまわります。これは正直な話、日大の理事長職に就いてから作家の仕事をセーブしている現在も私の場合は同じ状況です。

しかし、その大いなる不安の中でも、好きな洋服を着て面白い人たちに会い、オペラや歌舞伎を楽しみたい気持ちは変わりません。不安いっぱいで惜しみなくお金を遣うから、「死ぬほど働かなくては」というモチベーションになるのです。たくさん遣うために、たくさん働く。その繰り返しです。