お金を賢く遣うにはどんな工夫が必要でしょうか。小説家、エッセイストであり、日本大学理事長である林真理子さんは「国内外の舞台や演奏会などを観るためのチケット代や一流店での食事代、旅行代など、知的好奇心を満たすために遣ったお金はすべて、遣った人の教養の一部になると思います。洋服だって気に入ったものを買うと自信がついて、人を積極的にさせてくれるのです」といいます――。

※本稿は、林真理子『成熟スイッチ』(講談社現代新書)の一部を再編集したものです。

札束
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お金はとても大事なもの

お金をジャブジャブ遣うくせに、私はお金はとても大事なものだと考えています。

王道を行く生き方をしたいのは、その方がお金が多く入ってくるからでもあります。お金があると好きなことが出来る。旅行をしたり、おいしいお店で食事をしたり、好きな洋服を買える。「自分に投資」という言い方はいやらしくて好きではありませんが、自分がやりたいことが出来て、欲しいものが手に入るというのは、人間の大きな快楽の一つ。面白がって生きていくためにも、そうした欲望を満たすお金はとても意味のあるお金だと思っています。

お金の大切さが身にしみているのは、商売をやっていた家の娘だからでしょう。中学高校時代の私が、

「お母さん、ケチ……」

と不満を漏らすたびに、母は、

「私だってケチなことをしたくないけれど、お金がないんだから仕方ないじゃないの」

と言っていました。母からはよくこんなことも聞いたものです。

「お金を軽んじてはいけない。お金は、人を積極的にしてくれるし、可能性を広げてくれるの」

弟が医者になりたいと言い出しても、うちには医者にしてやれるお金がないのが悔しい、とも母はよくこぼしていました。

コインを積み上げていく
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親友から借りた10万円の思い出

お金にまつわる、ほろ苦い思い出があります。

もう40年以上前、売れないコピーライターから雑誌ライターへの転身を図っていた頃、当時はまだ珍しかった中国ツアーに参加する機会を得たことがありました。

費用は二十六万円だったのですがお金が足りず、高校時代の親友から十万円を借りました。しかし、私はそれをなかなか返さなかったのです。そうしたら半年ぐらいたって、連絡がありました。

「私、結婚することになったから十万円返して」

彼女は小学校の先生になっていて、勤務先の神奈川の小学校にお金を持ってお詫びに行きました。するとジャージを着て子どもたちと一緒に歩いてくる彼女を見て、私は涙が止まらなくなってしまったのです。

「ああ、こういうまともな人生を歩いている人と私は全く違う世界にいる。信頼してお金を貸してくれたのに、返さなかった自分って最低だ」

真っ当な人生を生きている彼女がすごく羨ましかった。お金で情けない思いはもうしたくない――心に誓いました。

私が会食代を負担する理由

そして現在、私は夫から

「なんでいつも君が払うの?」

と聞かれるぐらい、いろいろな会食代を自分で払っています。

知り合い同士のお見合いをセッティングする食事会も、仕切った私が会計を負担します。そうして人のために何かおせっかいをしようとする時も、お金で思いとどまる必要はありません。ありがたいことに小金を稼げているからです。

お金が人を積極的にしてくれるということは、生まれながらのお金持ちにはわからない感覚かもしれません。私は母の言葉の正しさとお金のありがたみを、身をもって実感することが出来ています。

イタリア料理と赤ワインで乾杯
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自分に遣ったお金は返ってくる

そんなに人のためにお金を遣って、どんな見返りがあるんですか、と聞かれることもあります。

たしかに、すぐに見えやすいかたちで何かがあるわけではないのです。長い目で見て、折にふれて助けてくれたり気にかけてくれたりするということはあるかもしれません。でもまあ、人のために遣ったお金にはあまり期待しない方がいいでしょう。私はただ病的におせっかいで、自分がしたいことをしているだけですから。

ただし、自分が好きなことに遣うお金は、遣ったぶんだけ返ってくると思っています。

バブルの頃には着物を随分買いましたが、その経験は時代小説を書く時に、着物を着た時の所作を描写するのにも役立っています。もっといえば、国内外の舞台や演奏会などを観るためのチケット代や一流店での食事代、旅行代など、知的好奇心を満たすために遣ったお金はすべて、遣った人の教養の一部になると思います。洋服だって気に入ったものを買うと自信がついて、人を積極的にさせてくれるのです。

私がよく引き合いに出す飛行機の座席の話にしても、ファーストクラスに一度でも乗れば、それがどういうものか知ることができます。その後の人生は、ビジネスクラスであろうがエコノミークラスであろうが臨機応変に乗り分ければいい。ファーストクラスに一度でも乗ったことがある経験と心の余裕は一生ものです。

ただし当然ながら、思うようにお金を遣うためには、とことん働いて稼がなければなりません。おまけに作家の仕事は入ってくるお金が読みにくいので、常に未来の収入への不安がついてまわります。これは正直な話、日大の理事長職に就いてから作家の仕事をセーブしている現在も私の場合は同じ状況です。

しかし、その大いなる不安の中でも、好きな洋服を着て面白い人たちに会い、オペラや歌舞伎を楽しみたい気持ちは変わりません。不安いっぱいで惜しみなくお金を遣うから、「死ぬほど働かなくては」というモチベーションになるのです。たくさん遣うために、たくさん働く。その繰り返しです。

若い人に「本物」を教えてあげるお金の遣い方

こうしてお金を遣うことばかり言うのが、「時代遅れ」だとか「バブルをひきずったオバさん」とか言われることもわかっています。

林真理子『成熟スイッチ』(講談社現代新書)
林真理子『成熟スイッチ』(講談社現代新書)

それでも提案したいのが、もし、少しでもお金に余裕があるのなら、ぜひ若い人や後輩たちに「本物」を教えてあげるお金の遣い方をしてほしいということ。

オペラや歌舞伎の観劇や相撲、若い人が気後れしてしまうようなお鮨屋さんのカウンターに誘うのもいい。河豚もご馳走してあげたい。もっと気軽に出来ることというなら、古典の名作といわれる本をプレゼントするのだっていい。若い人たちがどんどん節約志向になっていて、たぶんその流れはもう変わりません。「お金を遣わないこと=センスがいい」という価値観が定着してしまったからです。ですから、若い人に本物の文化を伝えるために、今の大人たちはお金を遣ってあげるべきだと思います。

そうして味わった本物の経験は、彼らの中で必ず残るはずです。そのことをお金を遣った自分の喜びと出来るか、面白いと思えるか。成熟した人のお金の遣い方はそこにかかっていると言ってよいでしょう。

もちろん私は今までの自分のお金の遣い方のすべてに後悔がないわけではありません。反省しきりです。本が売れていた時代にお金を貯めて、たとえばマンションを一棟まるごと買ったり、もっとお金を増やすことをしておけばよかった……。

夫も年をとってきたから二人で介護施設に入ったりする将来を考えると、またお金がすごくかかってしまう。今のようにお手伝いさんもいて、別荘があって、食べたいものを食べて着たいものを着て、という生活があと何年できるのか。恐ろしく不安になります。そしてまた私は「もっともっと働かなくては」という思いを強くするのです。