一体全部でいくら払っているのか
昨今、「隠れ教育費」という言葉が度々メディアに取り上げられるようになってきた。この言葉は、2019年に筆者が学校事務職員の栁澤靖明と一緒に著した書籍『隠れ教育費 公立小中学校でかかるお金を徹底検証』のタイトルである。
主に保護者の費用負担を表した言葉であるが、これには「どこが隠れているの? みんな知っているよ」というような疑問も寄せられている。しかし、この疑問こそが、「隠れ教育費」と名付けた理由と関わるものである。
子どもを公立小中学校に通わせた経験がある人はよくわかっていると思うが、その費用負担は払う回数が多く、不定期、また支払先が学校や洋品店・スーパー・スポーツ用品店などさまざまである。このことから、保護者にしてみると、「何度も払っているんだけれど、結局全部でいくらになるんだ」ということが見えにくくなっている。
また学校の教職員からすると、自分たちが徴収(集金)している金額までは把握できても、それ以外の部分で保護者がどれだけ費用負担をしているかは見えづらい。また、学級や学年、教科や部活動により、その負担額が異なることも、見えにくさに拍車をかけている。このように、確かにあるとはわかっているのに見えづらくなっている保護者の費用負担、それが「隠れ教育費」である。
「義務教育だからお金はかからない」という誤解
このことを我々が問題提起してきたことには、理由がある。
日本国憲法上に「義務教育は、これを無償とする」(26条2項後段)とあり、また日本も批准している子どもの権利条約でも「締約国は、児童の生存及び発達を可能な最大限の範囲において確保する」(6条2項)とあり、国はそれを遵守する義務がある。それにもかかわらず、実際に全国一律で無償になっているのは授業料(教育基本法5条4項)と教科書(教科書無償措置法)のみとなっている。
しかし、これにより「義務教育だからお金はかからない」というイメージや誤解が広がり、保護者の重い費用負担と、それに伴う子どもたちの学習権・成長発達権の阻害状況に目が向けられてこなかったのである。個々の家庭の問題ではなく、広く国の責任の問題であり、そして根本的には一人ひとりの子どもたちの権利保障上の問題として、この「隠れ教育費」を考えていく必要がある。