「クジラの交尾のようにスムーズに」と願をかける縁起物
今から2~3年前、その水産会社の冷凍庫がリニューアルされるのにともない、祀ってあったクジラの生殖器を引き取ってもらえないかと打診された。縁起物としてクジラの生殖器を祀る風習があることは知っていたが、実際に目にするのはそれが初めてであった。
それは、想像を超える大きさであった。クジラの種までは同定できなかったものの、ナガスクジラ科鯨類のオスの陰茎(約2メートル)と、メスの生殖孔部分(約1メートル)の展示物は、まさに圧巻であった。
しかも、冷凍庫に祀られていてフレッシュな状態が保たれていたことも奇跡的ではないか。
この水産会社が、私の勤める博物館の近くであったなら、間違いなく前向きに検討しただろう。それこそ、私の頭の中にあるストランディングそろばんならぬ、もう一つの博物館そろばん(つまり予算の見積もり)が動き出したにちがいない。
しかし、北海道はあまりにも遠すぎた。巨大な陰茎と生殖孔の輸送費に加えて、かりに博物館に運べたとしてどこに保管するのか、それも冷凍で……といったことを冷静に考えると、とても現実的ではなかった。結局、泣く泣くお断りしたのである。
しかし、クジラの生殖器が実際に縁起物として大切に祀られているのを見ることができただけでも、何ものにも代え難い経験となった。
1971年埼玉県生まれ。獣医・海獣哺乳類学者。博物館業務に携わるかたわら、海の哺乳類のストランディング(漂着)の実態調査、病理解剖で世界中を飛び回っている。おもな著書に『海獣学者、クジラを解剖する。』『クジラの歌を聴け』などがある。
