「クジラの交尾のようにスムーズに」と願をかける縁起物

今から2~3年前、その水産会社の冷凍庫がリニューアルされるのにともない、祀ってあったクジラの生殖器を引き取ってもらえないかと打診された。縁起物としてクジラの生殖器を祀る風習があることは知っていたが、実際に目にするのはそれが初めてであった。

田島木綿子『クジラの歌を聴け』(山と溪谷社)
田島木綿子『クジラの歌を聴け』(山と溪谷社)

それは、想像を超える大きさであった。クジラの種までは同定できなかったものの、ナガスクジラ科鯨類のオスの陰茎(約2メートル)と、メスの生殖孔部分(約1メートル)の展示物は、まさに圧巻であった。

しかも、冷凍庫に祀られていてフレッシュな状態が保たれていたことも奇跡的ではないか。

この水産会社が、私の勤める博物館の近くであったなら、間違いなく前向きに検討しただろう。それこそ、私の頭の中にあるストランディングそろばんならぬ、もう一つの博物館そろばん(つまり予算の見積もり)が動き出したにちがいない。

しかし、北海道はあまりにも遠すぎた。巨大な陰茎と生殖孔の輸送費に加えて、かりに博物館に運べたとしてどこに保管するのか、それも冷凍で……といったことを冷静に考えると、とても現実的ではなかった。結局、泣く泣くお断りしたのである。

しかし、クジラの生殖器が実際に縁起物として大切に祀られているのを見ることができただけでも、何ものにも代え難い経験となった。

田島 木綿子(たじま・ゆうこ)
国立科学博物館動物研究部脊椎動物研究グループ研究主幹

1971年生まれ。日本獣医生命科学大学(旧日本獣医畜産大学)獣医学科卒業。学部時代にカナダのバンクーバーで出合った野生のオルカ(シャチ)に魅了され、海の哺乳類の研究者を志す。東京大学大学院農学生命科学研究科にて博士号(獣医学)取得後、同研究科特定研究員を経て、2005年からテキサス大学医学部とThe Marine Mammal Centerに在籍。2006年に国立科学博物館動物研究部支援研究員を経て現職。