当事者に取材しない不思議
先の伝聞情報とは正反対の内容だ。以前の取材からこの10年ほどの間に考え方が百八十度、転換したのか。それとも、今回の伝聞情報が間違っているのか。
編集部としては、もう一度、正憲氏本人に取材を申し込むのが当然の手順だろう。
現に⑥では、池坊家の孫の件について直接、祖母の池坊保子氏に取材を試みている。ならばなぜ、より本命視する賀陽家の当事者への直接取材を行わないのか。
実は『週刊新潮』は昨年にも同じような記事を載せていた(令和4年[2022年]2月3日号)。そこでも、当事者への取材は避けている。正憲氏の場合、以前『週刊新潮』の取材に応じているだけに、よけい不可解だ。
これでは、本人に尋ねると直ちに「事実ではない」と否定されることが分かっている(そうすれば記事が作れなくなる)からこそ、ジャーナリズムとしては当然の手法である当事者への取材をあえて行わないのではないか、と勘繰られても仕方がないのではないか。
賀陽家は「本命」なのか
賀陽正憲氏はマスコミ的には学習院初等科以来の「ご学友」とされるが、民間企業から宮内庁に転職しながら外務省に長く出向した経緯があり、天皇陛下との関係は疎遠と見られている。③が取り上げた「ご成婚」話に水を差す情報は多い。
たとえば、『女性自身』(令和4年[2022年]2月15日号)には、平成時代に天皇・皇后両陛下の側近に仕えたらしい「元東宮職関係者」の発言が載っている。
「20年ほど前、故・鎌倉節さんが宮内庁長官を務めていたころ(’96年から’01年)のことです。賀陽氏が当時は皇太子殿下でいらした天皇陛下の、東宮侍従には就任することが決まりかけました。賀陽氏には“おそばで殿下をお支えしたい”という強い熱意もあり、鎌倉長官も“殿下の周囲に同年代の相談役がいたほうがよいのではないか”という判断で、内示を出したのです。
しかし、陛下はこの人事に厳しい調子で異を唱えられたそうです。『かつての同級生と上司と部下のような関係で接したくはない』と。賀陽さんは、その直後に外務省に出向を命じられました。宮内庁長官という側近トップと、長年の同級生が、自分にはまったく相談もなく重要人事を決めてしまったことに、陛下は強い不信感を抱かれたのではないでしょうか。
その後、陛下が賀陽さんとの交流を復活なされたという話は聞きません。雅子さまもその経緯を間近でご覧になっています」
また、次のような指摘もある。
「安倍元首相が一昨年あたりに愛子さまと旧皇族男子との縁談をまとめたいと張り切っていたという……。このときに、安倍氏の念頭にあったのが賀陽兄弟であるのは間違いないが、その後、具体的な動きがあったという話は承知していない」(八幡和郎氏プレジデントオンライン令和5年[2023年]3月18日公開 )