今年の2月ごろから、愛子さまの結婚相手候補に関する週刊誌報道が相次いでいる。神道学者で皇室研究家の高森明勅さんは「どれも信憑性に欠けるし、このタイミングに報道が集中していることには、背景に政治的な思惑があるのではという疑念も排除できない」という――。
上皇ご夫妻に新年のあいさつをするため、仙洞御所に入られる天皇陛下と長女愛子さま=2023年1月1日、東京都港区[代表撮影]
写真=時事通信フォト
上皇ご夫妻に新年のあいさつをするため、仙洞御所に入られる天皇陛下と長女愛子さま=2023年1月1日、東京都港区[代表撮影]

相次ぐ愛子さま“お相手”報道

このところ、いささか気が早い話ながら、天皇・皇后両陛下のご長女、敬宮としのみや(愛子内親王)殿下のご結婚の「お相手(?)」候補をめぐる週刊誌報道が過熱気味だ。

私の目に留まった記事は以下の通り。

① 『週刊女性』(3月7日号)2月23日公開
② 『女性セブン』(3月16日号)3月2日公開 3月3日公開
③ 『週刊新潮』(3月16日号)3月8日公開 3月16日公開
④ 『女性自身』(3月28日・4月4日合併号)3月15日公開
⑤ 「FRIDAYデジタル」(3月16日公開
⑥ 『週刊新潮』(3月30日号)3月22日公開 3月31日公開
⑦ 「FRIDAYデジタル」(3月28日公開
⑧ 『週刊ポスト』(4月7日・14日合併号)3月28日公開 3月29日公開

もちろん、見落としもあるだろう。しかし、以上だけからでも、①『週刊女性』(発売は2月21日)を皮切りに、集中的に「お相手(?)」報道が続いていることが分かる。今後もさらに続くかもしれない。

だが率直に言って、失礼ながら“うさん臭い”印象を拭えない。

うさん臭さの理由は大きく言って2つある。

1つは、中身の信憑性だ。内容がどこまで信用できるのか。

2つ目は、最近、急にこの種の記事が立て続けに報じられている背景だ。何らかの政治的な思惑を含んだ情報提供がなされている可能性について、疑念を排除できない。

以下に1つずつ見ていこう。

記事に登場する「お相手」候補者

まず中身の信憑性について。

これまでの報道で「お相手(?)」として浮かび上がっているのは以下の通り。

〇 旧宮家系の賀陽かや家の兄弟(27歳と25歳)
〇 華道の家元、池坊専永氏の孫(31歳)

しかし、後者は単に周囲が「愛子さまのお相手として見劣りしない」(④)と見ているにすぎない。よって、こちらはひとまず除外してよいだろう。

では前者はどうか。結論から言えば、こちらも不明朗な気配が強い。

まず前提となる事実としては、今から75年以上も前に皇室を離れた、いわゆる旧宮家系の子孫の男性で敬宮殿下と年齢的に釣り合いそうなのは、賀陽家の兄弟しかいない。そのため、以前から同兄弟は注目されてきた。

②では匿名の「宮内庁関係者」がストレートに「愛子さまがこの数年でご縁を育まれているのは、旧皇族で、旧賀陽宮家の次男であると聞いています」と語っている。

賀陽正憲氏の次男と名指ししているのだ。

おかしな言葉を使う「宮内庁関係者」

だが、「宮内庁関係者」の発言の中にはおかしな言葉遣いが混じっている。宮内庁の職員であれば、かつて皇族の身分におられ、婚姻その他の理由で皇籍を離れられた方については、旧宮家の国民男性(皇籍離脱が昭和22年[1947年]なので年齢は70歳代後半以上)を含めて「元皇族」と表現する。その上で、元皇族とその子孫を厳格に区別する。

これに対して、先の発言に出てくる「旧皇族」という言葉は近頃、特殊な用語になっている。皇位継承資格の「男系男子」限定という、一夫一婦制の下では持続困難なルールを今後も頑なに維持しようとする人たちが、旧宮家の(1分1秒も皇族だったことがない、もとから国民として生まれた)子孫も含めて、拡大解釈的に「旧皇族」と呼んでいるのだ。これは、平等であるべき国民の中にも特別な身分(準皇族的な立場)を認めるかのような、皇室との国民の区別を曖昧にする悪質な用語法と言える。先の発言でも、賀陽家の次男という親の代からすでに国民である人物を、「旧皇族」と表現している。

よって、この記事に出てくる「宮内庁関係者」は、おそらく宮内庁の正式な職員ではない。そうした不正確な言葉の使い方に無頓着な(または好んでそのような言葉を用いたがる)、ある種の傾向を持った人物と推測できる。

怪しい「宮内庁関係者」

②と同じ日に発売された③の中にも、「宮内庁関係者」の発言が載っている。いわく、「政府は、すでに意思確認のため賀陽家とコンタクトをとっており、(国民の立場を離れて皇籍を取得することに)好感触を得ているといいます」と。

さらに「(賀陽兄弟の父親の)正憲氏ご自身も『自分の家が皇室に復帰する可能性があることを肝に銘じて過ごしてきた』などと周囲に漏らしているのです」という踏み込んだ言い方までしている。

ここまで踏み込んだ言い方をする宮内庁職員がいるとは、にわかに考えにくい。おそらく②と同じケースだろう。

発言内容の食い違い

さらに重要なのは、ここで「宮内庁関係者」の伝聞によって紹介されている賀陽正憲氏の発言内容が、以前、同氏が直接、取材に答えた時の内容と大きく食い違っている事実だ。過去の『週刊新潮』(平成23年[2011年]12月15日号)には、同氏の発言が以下のように紹介されていた。

「賀陽家は、皇女をお迎えしておらず、また、既に(元皇族だった)当主なく、私も菊栄親睦会(皇室の方々と元皇族などご親族一統の親睦会。平成26年[2014年]5月18日以来、すでに10年近く開催されていない)のメンバーではありません。(敬宮殿下との)縁談などとは、立場が違いすぎ、恐れ多いことです。
息子たちはPSP(プレイステーションポータブル)で遊ぶ、普通の男の子です。皇室様へのお婿入りなど考えること自体、失礼だと思います」

上野駅構内の本屋さん
写真=iStock.com/TkKurikawa
※写真はイメージです

当事者に取材しない不思議

先の伝聞情報とは正反対の内容だ。以前の取材からこの10年ほどの間に考え方が百八十度、転換したのか。それとも、今回の伝聞情報が間違っているのか。

編集部としては、もう一度、正憲氏本人に取材を申し込むのが当然の手順だろう。

現に⑥では、池坊家の孫の件について直接、祖母の池坊保子氏に取材を試みている。ならばなぜ、より本命視する賀陽家の当事者への直接取材を行わないのか。

実は『週刊新潮』は昨年にも同じような記事を載せていた(令和4年[2022年]2月3日号)。そこでも、当事者への取材は避けている。正憲氏の場合、以前『週刊新潮』の取材に応じているだけに、よけい不可解だ。

これでは、本人に尋ねると直ちに「事実ではない」と否定されることが分かっている(そうすれば記事が作れなくなる)からこそ、ジャーナリズムとしては当然の手法である当事者への取材をあえて行わないのではないか、と勘繰られても仕方がないのではないか。

賀陽家は「本命」なのか

賀陽正憲氏はマスコミ的には学習院初等科以来の「ご学友」とされるが、民間企業から宮内庁に転職しながら外務省に長く出向した経緯があり、天皇陛下との関係は疎遠と見られている。③が取り上げた「ご成婚」話に水を差す情報は多い。

たとえば、『女性自身』(令和4年[2022年]2月15日号)には、平成時代に天皇・皇后両陛下の側近に仕えたらしい「元東宮職関係者」の発言が載っている。

「20年ほど前、故・鎌倉さだめさんが宮内庁長官を務めていたころ(’96年から’01年)のことです。賀陽氏が当時は皇太子殿下でいらした天皇陛下の、東宮侍従には就任することが決まりかけました。賀陽氏には“おそばで殿下をお支えしたい”という強い熱意もあり、鎌倉長官も“殿下の周囲に同年代の相談役がいたほうがよいのではないか”という判断で、内示を出したのです。
しかし、陛下はこの人事に厳しい調子で異を唱えられたそうです。『かつての同級生と上司と部下のような関係で接したくはない』と。賀陽さんは、その直後に外務省に出向を命じられました。宮内庁長官という側近トップと、長年の同級生が、自分にはまったく相談もなく重要人事を決めてしまったことに、陛下は強い不信感を抱かれたのではないでしょうか。
その後、陛下が賀陽さんとの交流を復活なされたという話は聞きません。雅子さまもその経緯を間近でご覧になっています」

また、次のような指摘もある。

「安倍元首相が一昨年あたりに愛子さまと旧皇族男子との縁談をまとめたいと張り切っていたという……。このときに、安倍氏の念頭にあったのが賀陽兄弟であるのは間違いないが、その後、具体的な動きがあったという話は承知していない」(八幡和郎氏プレジデントオンライン令和5年[2023年]3月18日公開

強気な表現が一気にトーンダウン

実際に、③では「(賀陽家の)『復帰シナリオ』への合意ができている」という強気な表現があったのに、⑥になると一気にトーンダウンしてしまっている。『週刊新潮』2号合計7ページにわたる関連記事の締めくくりは次の通り。

「はたして、愛子さまのお眼鏡にかなう男性は……」

「……」で締めくくられては、それまで(特に③)の記事は一体、何だったのかと首をひねる読者もいるのではないか。

④⑤⑦⑧も賀陽兄弟情報を取り上げつつ、やや距離を置くか、冷淡な扱いだ。⑤は③のようなシナリオについて「相当なハードルがありそうだ」と突き放している。

結局、少なくとも今のところ、事実関係については⑥の末尾の一文以上の中身は特にない、と見るのが妥当だろう。

男系限定論者に「理想的」なシナリオ

しかし、このような事実の裏付けを欠く記事が各誌に立て続けに載った出来事そのものが、奇異な印象を与える。ここらで、うさん臭さの2つ目、今回の一連の記事掲載の背景をどう読み解くかに移ろう。

ここで解明のカギになるのは、③に載った代表的な男系限定論者で、麗澤大学教授の八木秀次氏の次のように発言だ。

「愛子内親王殿下と賀陽家のご令息とのご縁がよい方向に進んだ暁には、まずお子様のいらっしゃらない常陸宮家にご令息が養子入りし、その後にご成婚という流れが望ましい。となれば、愛子内親王殿下は妃殿下として皇室にお残りになることができ、男児が生まれれば天皇家直系の男系男子となる。『皇位継承』『皇族数確保』という2つの観点からも、理想的なのです」

上述の通り、こうした男系限定論者にとって「理想的(?)な」シナリオに、実は何ら事実の裏付けがないことを確認した地点から振り返ると、賀陽兄弟情報が一挙に出回った裏事情が見えてくる。

後退を重ねる「旧宮家プラン」

もともと無理を抱える「男系男子」維持策として、旧宮家系国民男性が皇族の身分を取得できる制度作り(いわゆる旧宮家プラン)がこれまで“後退”を重ねてきたプロセスとの絡みから眺めると、意外な構図が浮かんでくるのではないか。

最初は、法的措置だけで昨日まで一般国民だった旧宮家系男性が今日から皇族になるという、ムチャな提案だった。それを旧宮家の“復活”とか旧皇族の皇籍“復帰”といった不正確な呼び方をしていた。

しかし、政府が今、国会に検討を委ねている(これも問題が多い)有識者会議報告書でさえ、そうしたプランについては「現在の皇室にいらっしゃる皇族方と何ら家族関係を有しないまま皇族になることは……(養子縁組による場合と比べて)より困難」(13ページ)として、事実上、切り捨てた。

そこで後退して、現在の宮家と家族関係を結ぶ「養子縁組プラン」が前面に出てきた。しかし、これも同じ戸籍に登録された国民の中から、旧宮家系という特定の血筋・家柄の者だけを特別扱いするので、憲法(第14条第1項)が禁じる「門地もんち(血筋・家柄)による差別」に該当することが明らかになった(東京大学教授・宍戸常寿氏、元内閣法制局長官・阪田雅裕氏など)。

「旧宮家プラン」の既定路線化狙ったか

そこでさらに後退した結果、最終シナリオとして出てきたのが、未婚の女性皇族との婚姻を介することで旧宮家系国民が皇室入りすることへの一般の人たちの心理的なハードルを下げる、という方策。少しうがった見方をすれば、その既定路線化を狙って、確たる事実の裏付けもないのに(これまでも一部で語られてきた)賀陽兄弟=「お相手」説が急浮上したという事情ではないか。

愛子さまの「妃殿下」扱いに違和感

先に引用した八木氏の発言の中身に少し立ち入ると、天皇陛下“直系”の「皇女」でいらっしゃる敬宮殿下を、昨日まで国民だった旧宮家系男性の「妃殿下」扱いしていることに強い違和感を覚える。「妃殿下」ということは、お相手との婚姻によって皇族のご身分を保つことができる、というお立場を意味する。

そもそも先の有識者会議報告書でも、未婚の女性皇族方がどのような男性と結婚されても(もちろんされなくても)、ご身分は皇族のままという制度を提案している。旧宮家系男性との婚姻によって「妃殿下」にならなければ皇室に残れないという内容では、まったくない。

天皇・皇后両陛下のご家庭という、皇室の中でも特別な“聖域”でお育ちになった方を、ただ「女性だから」というだけの理由で、親の代から世俗で暮らしてきた、血縁としても歴史上の天皇から20世以上も離れた男性との婚姻によって、かろうじて皇族の身分を維持できるような地位におとしめようとする感覚が、私には理解できない。

天皇直系と「男系」は両立できない

しかも、敬宮殿下がもし「妃殿下」という位置づけなら、その子は旧宮家出身の父親の血筋になるから、“天皇直系”とはされない。遥かに遠い傍系、いわば「大傍系」となる。敬宮殿下の血筋とされてこそ天皇直系となる。ただし、その場合は改めて言うまでもなく「女系」に位置づけられる。天皇陛下のお子様に男子はおられないので、直系と男系は決して両立できない。

先のわずかな発言の中に、複数の明らかな間違いが含まれている。

ここで興味深いのは、⑤⑦に登場する匿名の「皇室ジャーナリスト」が、ここに引用した八木氏の発言とピッタリ重なる発言をしていることだ。短い発言中、まったく同じ複数の間違いを犯すということは、偶然としては普通、あまり起きないことではあるまいか。

「宮内庁関係者」の正体

そのことに関連して、同氏が以前、自身の週刊誌でのコメントについて、ネット番組で以下のように述べていた事実を紹介しておく(「Front Japan桜」令和3年[2021年]5月27日配信)。

「週刊誌の記事の書き方は私もある程度知ってますけど、私に30分電話かけてきて、私の話で5ページ特集組みますよ、時に。で、私はある時は宮内庁関係者、ある時は官邸関係者。……ということで、……週刊誌は情報の出所(の記載)があるんですけど、必ずしもカギ括弧(「宮内庁関係者」の意)が正しいというわけではありませんので。……カギ括弧(付きのコメント)でしゃべる宮内庁の関係者(正式な職員)はいるわけないんですよ」

興味深い証言だ。①~⑧の記事には、先の「皇室ジャーナリスト」以外にも八木氏の発言と共通する匿名の「宮内庁関係者」などのコメントを見つけることができる。この正直な証言は、今回の一連の「お相手(?)」報道の背景を探る上で大いに参考になるだろう。

それにしても、部数の減少が続く週刊誌にとって、芸能ネタも訴訟リスクが高まる中、皇室報道は“おいしい”コンテンツという話を耳にする。読者の関心が高く、先の“30分の電話で5ページの特集”という証言もあるように取材に手間がかからず(同じような情報を繰り返し使い回している例も珍しくない)、雑な記事でも相手からの反論やクレーム、法的手段などの反撃の心配がほとんどない――というのが、その理由らしい。

しかし、そのような報道が当事者の方々をこれまでどれほど傷つけ、苦しめてきたか。特に、未婚の皇族の幸せなご結婚をどれだけ妨げることになるか。少しは省みる必要があるのではないか。