割り込んできて「逆ギレ」
駅にある個別ロック式の有料駐輪場(無人)に自転車を止めようとした時のことです。
駐輪場には私1人しかおらず、全て埋まっていて自転車が止められませんでした。ちょうど1人の男性がやってきて自転車を出そうとしました。
人が自転車を出し終わるのを露骨に待つのは恥ずかしいけど、「待っている」ということが分かる位置に立ってないと他の人に取られてしまうので、その男性の近くまで自転車を押していき、待っていました。
男性が自転車を出しきるか否かの時、自転車を押したおじいさんがやってきて、スーッと私の前に入ってきました。おいおい、と思い
「あの、私が並んでました」
と声をかけたのです。
そうするとおじいさんは
「んんだああ!!! 誰が決めたんだ!! 並べって言われたのかぁっ!!!」
と怒鳴ってきました。
その瞬間「確かに、整理券を配ってるわけでもないし、並んで待つシステムはここにはないな、おじいさん一理あるじゃん」と思いました。
「でも、それがないからこその、みんなの暗黙のルールで成り立ってるわけで……」という感情も0.001秒くらいで出てきて、それらが入り交じった私はおじいさんの顔を見て
「そ、そんなぁ~」
と言いました。
「そんな、殺生なあ~」の言い方です。そんなこと言おうと思ったこともなかったけど、とっさに口から出てきました。
顔はトホホ~~みたいな表情になっていたと思います。
するとおじいさんは「⁉」という感じで言葉をつまらせ、Uターンして立ち去ってしまいました。
私は、自分史上最も好ましい対応ができた! と思いました。
「勝った」感じがした
おじいさんを必要以上に攻撃することなく脅かすことなく、「相手にも確かに一理ある」ことを認め、自分がちょっと下に立った感じで、敬意を持って自分の意思をユーモアを交えて伝えることができた。さらに、自分の正当性を相手に認めさせることができた。「勝った」感じがしました。
しかし自転車を押しているおじいさんの背中を見たら、私のほうが若いのに申し訳ないな……と罪悪感が湧いてきて「いいですよー! 譲りますよー!!!」と叫んだけどおじいさんはこちらを振り返ることなく行ってしまいました。
最後の罪悪感からくる「譲る」は、好ましい対応での勝利ゆえの心のゆとりから生まれたものなので、最初からおじいさんの割り込みを許して「譲る」のとは全く違うわけです。
自分としてはそれも含めて満足しました。自分のニーズを自分の求める形で満たすことができたからです。
そこまでくるともはや、「『そんなあ』の一言で引き下がってくれたおじいさん、ご協力ありがとう」みたいな感謝の念まで出てくる始末でした。
いかがでしょうか。
こういった対応は、外見も大きく影響すると思います。私の場合は「丸い体型の中年女性」なので、今回の対応が効いたのかもしれません。今後も使っていこうと思っています。おそらくさらに加齢したら別の対応が必要になってくるので随時更新していこうと思います。
街にいるみんなそれぞれが、ご自身に合わせた対応を編み出した時、世の中さらに平和になるんじゃないかと思っています。
1978年東京都生まれ。2001年第3回アックスマンガ新人賞佳作受賞(青林工藝舎)。母からの過干渉に悩み、その確執と葛藤を描いたコミックエッセイ『母がしんどい』(KADOKAWA/中経出版)を2012年に刊行、ベストセラーとなる。ほかの主な著書に『キレる私をやめたい』(竹書房)、『お母さんみたいな母親にはなりたくないのに』(河出書房新社)、『しんどい母から逃げる!!』(小学館)などがある。