「私はあの人に、避けてほしかった」

例えば、お互いに譲り合わないと通れない狭い道ですれ違う時に、こちらを避けようとしない人がいたとします。「すれ違いざま」が多いから瞬間のことだけど、そこでほのかに感じる相手からの悪意と故意な感じに、スンッと心が悲しくなることってありませんか?

その人のパッと見の人となりから、どんな人なんだろう、なんでそういう態度をするんだろう、と想像が始まるのを意識的に切り上げて、「私はあの人にも避けてほしかったなあ」と「私」を主語にしてみます。するとだんだん「私だけ避けて、あっちだけ得してるみたいで腹立ったんだなあ、私は」とか、その出来事のどの部分に自分は腹が立ったのか、が分かってきます。

人間は、「自分がどこにどういう感情を働かせているのか、について自分自身に関心を持ってもらうと満足する」という傾向があります。これはセラピーや心理療法でよく言われています。

「道で避けない人間って一体なんなんだよ」と怒りが湧くのは、そこに自分の「道は譲り合って歩くべきだ」という思いがあるから。

「道は譲り合って歩くべきだ」というところを軸にしていくと「そうしない人は間違っている」というポイントから動けなくなる上に、そこには「私」が登場しないので、イライラとモヤモヤだけが続き、相手がどんどん悪人に思えてきます。

「私はあの人に、避けてほしかった」という気持ちを軸にするだけで、不思議とイライラがおさまる感覚が出てくると思います。

その方法に慣れてくると、心のゆとりが生まれて「もしかして相手にはのっぴきならない事情(大便を我慢している等)があったのかもしれない」などの発想ができるようになったりもします。

「相手がどうしてくれたら自分は満足なのか(自分のニーズ)」の視点を持つことは「NVC(Nonviolent Communication=非暴力コミュニケーション)」というコミュニケーションスキルを習う場で教えてもらいました。

この方法をやるようになってから、そういう人に遭遇しても、目的地に着く頃には忘れているようになりました。

抗議するときの3つのルール

私は、マナーの悪い相手に直接抗議をすることもあります。これも今までにいろいろ試行錯誤してきました。

自分がわざとじゃなくてやってしまって、知らない人にキツい口調で注意されてショックだった経験や、逆にこちらが感情にまかせて言ってしまって後味が悪くてつらかった出来事など、それらを織り交ぜて、自分はどういう風に人に指摘したいのか、それを考えてきました。

決めたのは3点。

1 明らかに故意に、私へのアクション(割り込み)をしてきた人には抗議する。状況を見て、絶対に安全を確信してから。危険すぎると思われる相手には無理しない。
2 抗議の際は、相手に敬意を持つ。バカにするような失礼な物言いや乱暴な言い方はしない。
3 ユーモアを交え、意表を突くことが理想。

というものです。意表を突く、というのは「あなた、ダメでしょう!」みたいな普通の言い方をしないということです。周りにいる人も思わず吹き出してしまうような、コミカルな感じで抗議する、というのが理想だなと思っていました。

先日、その集大成とも言える対応ができました。