「安倍氏は米国の代弁者ではない」

番組では、ニコノフ氏が、安倍氏の死についての経緯と、生前の業績に触れた後、次のように述べた。

〈安倍氏は日本では珍しい自立した政治家だった。

私は首相になる前の安倍氏と会ったことがある。当時、年2回、ロ日間の副次的チャネルでの対話が少なくとも年2回行われており、私もメンバーだった。安倍氏がそれに参加したことがある。

安倍氏は独自の思考をしていた。日本の知識人と政治家は、しばしば米国の立場を自分の見解のように述べる。

しかし、安倍氏はそうではなく、自らの理念を持っていた。もちろん安倍氏は反米ではなかったし、親ロシアでもなかった。偉大な政治家として独自の行動をした。現実としてもロシアと日本の関係発展のために重要な役割を果たした。

プーチン大統領が安倍氏の母親と妻に感情のこもった哀悼の意を表明したのも偶然ではない。実に偉大な政治家で日本の歴史に道標を残した〉(「グレート・ゲーム」、筆者訳)

安倍氏が独自の理念を持ち、日本の他の政治家のように米国の代弁者的な振る舞いをする人物ではなかったと評価している点に注目してほしい。サフランチューク氏は、日本の対ロ外交を安倍氏以前と以後に分けて述べる。

〈私にとって安倍氏は以下の点で重要だ。

日本は長い間、米国によって設定された地政学的状況を受け入れていた。

対して、安倍氏は現代世界において、特にアジア太平洋地域において日本の場所を見出そうとした。安倍氏は米国との同盟関係を維持しつつ、日本の独立性を確保しようとした。

安倍氏のロシアに対する姿勢は非常に興味深かった。

ファスナーで分けられた日本とロシアの国旗と、その中にある北方領土の地図
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ロシアを援助することで北方領土問題の解決を試みた橋本氏、小渕氏、森氏

安倍氏が権力の座に就くまでの20年間、日本はロシアの弱さに最大限につけ込もうとした。この時期、日本は親西側的外交を主導した。この論者はすべての分野でロシアの弱点につけ込もうとした。日本は際限なく提起するクリル諸島(北方領土に対するロシア側の呼称)問題を解決することができず、そのため日本には不満がたまっていた〉(同前)

〈米国によって設定された地政学的状況を受け入れていた〉とは、東西冷戦期、日本列島は北東アジアにおける、共産主義勢力に対する防波堤の役割を果たしていたことを指す。日本の政治エリートのソ連観もイデオロギー対立に加え、地政学的状況にも拘束されていた。やがて東西冷戦が終結し、ソ連崩壊によって誕生したばかりの、国家としては弱かったロシアを援助することで北方領土問題を解決しようとしたのが、橋本龍太郎、小渕恵三、森喜朗と続く政権だった。