家康の生涯を描くことで戦国時代のイメージが変えられる

私は現在、作家生活30年の集大成として、徳川家康の生涯を長編小説にまとめようとしています。新しいイメージの戦国時代を描くのに、なぜ家康なのか。第一の理由は、桶狭間の戦いから大坂夏の陣にいたる55年間、戦国時代のメインと言える時期のほぼすべての出来事に、家康は準主役級として、ときには主役としてかかわっています。ですから家康の人生を新たな視点で見なおすことによって、新しい戦国時代像を描きだすことができるのではないか。

もう一つの理由は、家康が旗印に掲げた「厭離穢土おんりえど 欣求浄土ごんぐじょうど」という言葉についてです。なぜ家康はこの言葉を掲げたのか。その意味が私にはやっと分かってきたのです。もちろん、この言葉が浄土教の用語であることは、みなさんご存じでしょう。この世=現世を「穢れた国土」と見なし、それを厭い離れ、清浄な国土である阿弥陀如来の極楽世界への往生を望むという意味であることも、よく知られています。

しかし、わざわざこの言葉を旗印に掲げ続けたのは、家康がこの世を本気で浄土に変えようという思想を持っていたからではないか。そう思うようになったのです。現代で言えば、政治家が掲げる政治方針(スローガン)に相当するでしょう。穢土のように穢れに満ちた日本を、浄土のような清浄な国土に替えていかなければならないと、家康は考えていたのではないか。

そう発見したことによって、これまでに流布してきた家康像とはだいぶ異なる家康の姿が見えてきたのです。

徳川家康の墓所 奥社宝塔
写真=iStock.com/coward_lion
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信長や秀吉が目指したのは重商主義・中央集権だった

では、家康が直面していた時代は、どのようなものだったのか。その点について、私は『信長燃ゆ』をはじめ多くの歴史小説を執筆するにあたって最新の学説を学び現地に足を運んで取材し、小説の作品世界を構築していくなかで培った一つの視点があります。

この国においては、「重商主義・中央集権」的な指向と「農本主義・地方分権」的な指向が、絶えず綱引きをしながら歴史が動いていくということです。重商主義とは、外国との貿易によって国富を増大させる。そのために輸出産業を保護するという考え方です。中央集権とは、国家の運営にかかわる権限や財源を中央政府に一元化させるという考え方です。