お地蔵さんのかたちをしていない
そのお地蔵さんだが、森田が言うには、私たちが見知っているお地蔵さんのかたちをしていないらしい。
「お出かけになる前のお地蔵さんを見たことがあるのですが、お地蔵さんと言うと、ふつうは石仏を想像しますよね。でも、ここのお地蔵さんは――」
直方体なのだそうだ。顔や合掌する手が彫り込まれているわけでもない。
「高さは40センチくらいですかね、それほど大きくないから持ち帰られるんだと思います。でも、縦長の自然石なんですよ。風化して顔や首の分別ができなくなったわけでもなく、そもそも加工の跡が見当たらないんです。だから、きれいにかたちが整ったふつうの石です」
その自然石を、丹波篠山の住人たちはお地蔵さんと呼んで奉っていた。だが、自然石を地蔵と称して奉っていたとしても、何ら不思議なことではないらしい。
「学術的な立場から厳しいことを言わせてもらうけど、ええか」
断りを入れて話し始めたのは、神戸学院大学・人文学部教授の森栗茂一だ。専門は都市民俗学だが、地蔵研究における第一人者でもある。何人かの民俗学者に聞いてみたところ、誰もが持ち帰ってもいい地蔵を珍しいと言うなかで、森栗だけが、そないなことあらへん。持ち帰りが許される地蔵は、探せばいくらでもあるはずや――、と答えていた。
これはメルヘンチックな話ではない
「あんたはこれをメルヘンやと思ってるやろ。違うんや。コロナの感染が広まってからこっち、誰もが閉塞感を抱いているから“ほっこり”した話もええけど、授かり地蔵はそんなメルヘンチックな話やない。歴史的な背景を手繰っていけばわかる」
あんたというのはおそらく私のことだが、森栗の言っていることは図星だった。
「武家や商家に女性が嫁ぐ。しかし、何年経っても跡取りを産むことができなければ女性は実家に帰された。農家も同じです。特に農家では子どもは大事な労働力やから、子どもができなければ女性は隣り近所から白い目で見られ、後ろ指を指されたわけですな。たとえ男性の側に問題があって子どもができなかったとしても、責任は全部女性に押しつけられた。封建社会において、女性は常にそういうつらい立場に立たされていました」
森栗は言う。子宝に恵まれないのは、女性には切実な問題だった。子どもを産めなければ、即座に用無しになる。嫁ぎ先と、その村社会に溶け込むためにも出産は不可欠だったのである。そんなときに、授かり地蔵があれば、藁にもすがる思いで祈るやないですか。お願いですお地蔵さま、どうか子どもを授けてくださいと。
「メルヘンやないでと言ったのは、そういう理由からです」
私は冷水を浴びせられたような気がした。神戸市から北に60キロほど離れた山間に位置する丹波篠山市は“丹波の黒豆”や枝豆が名産の農業地帯だ。農村地帯で生まれる子どもは、コミュニティ全体の労働力でもある。何が何でも子どもが欲しいと願う女性の、悲鳴にも似た切実な願いは、授かり地蔵を介して村全体で共有していた。農村地帯であれば、その傾向はなおのこと強くなるらしい。