「同事」を心がけ丁寧に話を聞く

糸口が見えたら、後は丁寧にほどいていくだけです。Cさんは、派閥争いから遠いと思われる場所から少しずつ人間関係をほぐしていきました。その時のポイントとしてお伝えしたのは、「同事どうじ」です。これは、人との関わり方を説いた仏教の教え「四摂法ししょうぼう」の一つで、「自分を抑えて相手と同じ心・境遇に自分自身の視点を移し、相手に接する」という意味があります。

Cさんは、「管理職だから」といって上から目線で接するのではなく、「この会社について私はまだよく知らないので、みなさん教えてください」という姿勢で、一人ひとりと話をするよう心がけたそうです。すると、少しずつ心を開いて話してくれる人が出てきて、最初はCさんのことを「親会社から突然やってきた“よそ者”」と見ていたような古株の人も、どんないきさつで派閥が生まれたのか教えてくれるようになったといいます。

こうしてCさんは、丁寧に会社の人たちと対話をしていきました。そうするうちに、職場の雰囲気も変わり始めました。

Cさんが出向してから2年余りになりますが、今では、派閥争いは鳴りを潜め、社内は落ち着いているそうです。

原因があるから結果が生まれる

そもそも、最初に私に相談してきた時のCさんは、新しい会社に行くこと自体、気乗りしない様子でした。請われて行ったはずなのに歓迎されず、いきなり派閥争いに巻き込まれてうんざりという気持ちが、私と話しているときにもありありと出ていました。

でも、グループ会社に出向することになったのも何かのご縁。そして、これを読んでくださっている皆さんがいま置かれている場所も、ご自身で決めているようでいて、そうではないんですね。それもご縁なんです。

「因果応報」という言葉があります。この言葉にはマイナスのイメージがつきまといます。親の悪行の報いが子どもに不幸となって表れてしまうことを指す「親の因果が子に報う」ということわざの影響もあるのかもしれません。しかし、仏教の「因果応報」は、原因があれば結果があるという単純な法則を指す言葉でしかありません。善い行いが善い報いをもたらす「善因善果」もあれば、悪い行いが悪い報いとなってかえってくる「悪因悪果」もあります。

仏教用語にはそれを端的に表す「因縁果いんねんか」という言葉もあります。「因」は原因やきっかけを指します。そして、「縁」は人やもの、場所との関わりを指します。「因」と「縁」が整えば、そこに結果が実ります。それが「果」です。

Cさんには、人間関係を解きほぐすアドバイスをお伝えする一方で、「あなたがその会社に迎え入れられたのも何かのご縁。『なぜ自分がこんな場所に?』とマイナスに捉えるのではなく、この結びつきをチャンスだと捉えて、『今日より明日は少しでも会社をよくしよう』と改革に着手すれば、よい結果がついてくるんじゃないですか?」ともお話ししました。