新しい職場で派閥争いに巻き込まれた
転職のみならず、組織の統廃合やグループ会社への出向など、ビジネスパーソンには慣れた環境を離れ、新たな環境に身を置かなければならない時があります。すんなり新しい環境になじめればよいですが、「現場であまり歓迎されていない」「派閥があり人間関係がギスギスしている」といったケースもあり、ご相談を受けることもしばしばです。
以前、地方のグループ会社に出向になった男性(仮にCさんとしましょう)が、「派閥争いに巻き込まれて困っているんです」と相談に来られたことがありました。Cさんは、グループ会社で現場のマネジメントを行う人材が足りないということで、管理職として出向することになりました。ところが新しい職場に行ってみると冷ややかな対応をされ、職場の雰囲気もピリピリしています。その背景には、派閥争いがあるようでした。
私はCさんにまず、「いまの職場で何が起こっているか、一歩引いてよく見ることです」と伝えました。
会社の成り立ち、派閥の中心人物は誰なのか、その人はどういういきさつでここに来て、何が原因でもめているのか……。そういったことを、先入観にとらわれず、一歩引いた立場から細やかに「観る」んです。
仏教用語でよく聴くことを「諦聴」、よく観ることを「諦観」と言います。そうやって、じっくり社内を見渡していくと、社内の人物相関図のようなものが浮かび上がってきました。つまびらかになった相関図は、真ん中にいけばいくほど複雑に絡まっています。
では、最も絡まっているところへ、よそからやってきた第三者がいきなり立ち入ろうとしたらどうでしょう? 状況はさらにややこしくなるだけです。細いネックレスが絡まった時、無理に結び目をほどこうとすると切れてしまいますよね。それと同じです。
絡まった人間関係は遠い所からほぐす
そこでCさんは、会社の相関図をさらによく「観て」みたそうです。すると、派閥争いに直接絡んではいないけれど、両方の派閥の中心人物から一歩離れたところにいるという人の存在に気が付きました。その話を聞いた私は、「派閥の中心人物ではないけれど気になる人なのであれば、しばらくその人の動向を観察してみては?」とご提案しました。
はじめは、「この方はパートですし、事情をよく知らないのでは?」などと言っていたCさんですが、後に、「あのパートさん、こっちの派閥に属しているように見えて、別の派閥とつながっていました。火種を大きくしているのは、どうもこの方だったみたいです」と連絡がありました。
「同事」を心がけ丁寧に話を聞く
糸口が見えたら、後は丁寧にほどいていくだけです。Cさんは、派閥争いから遠いと思われる場所から少しずつ人間関係をほぐしていきました。その時のポイントとしてお伝えしたのは、「同事」です。これは、人との関わり方を説いた仏教の教え「四摂法」の一つで、「自分を抑えて相手と同じ心・境遇に自分自身の視点を移し、相手に接する」という意味があります。
Cさんは、「管理職だから」といって上から目線で接するのではなく、「この会社について私はまだよく知らないので、みなさん教えてください」という姿勢で、一人ひとりと話をするよう心がけたそうです。すると、少しずつ心を開いて話してくれる人が出てきて、最初はCさんのことを「親会社から突然やってきた“よそ者”」と見ていたような古株の人も、どんないきさつで派閥が生まれたのか教えてくれるようになったといいます。
こうしてCさんは、丁寧に会社の人たちと対話をしていきました。そうするうちに、職場の雰囲気も変わり始めました。
Cさんが出向してから2年余りになりますが、今では、派閥争いは鳴りを潜め、社内は落ち着いているそうです。
原因があるから結果が生まれる
そもそも、最初に私に相談してきた時のCさんは、新しい会社に行くこと自体、気乗りしない様子でした。請われて行ったはずなのに歓迎されず、いきなり派閥争いに巻き込まれてうんざりという気持ちが、私と話しているときにもありありと出ていました。
でも、グループ会社に出向することになったのも何かのご縁。そして、これを読んでくださっている皆さんがいま置かれている場所も、ご自身で決めているようでいて、そうではないんですね。それもご縁なんです。
「因果応報」という言葉があります。この言葉にはマイナスのイメージがつきまといます。親の悪行の報いが子どもに不幸となって表れてしまうことを指す「親の因果が子に報う」ということわざの影響もあるのかもしれません。しかし、仏教の「因果応報」は、原因があれば結果があるという単純な法則を指す言葉でしかありません。善い行いが善い報いをもたらす「善因善果」もあれば、悪い行いが悪い報いとなってかえってくる「悪因悪果」もあります。
仏教用語にはそれを端的に表す「因縁果」という言葉もあります。「因」は原因やきっかけを指します。そして、「縁」は人やもの、場所との関わりを指します。「因」と「縁」が整えば、そこに結果が実ります。それが「果」です。
Cさんには、人間関係を解きほぐすアドバイスをお伝えする一方で、「あなたがその会社に迎え入れられたのも何かのご縁。『なぜ自分がこんな場所に?』とマイナスに捉えるのではなく、この結びつきをチャンスだと捉えて、『今日より明日は少しでも会社をよくしよう』と改革に着手すれば、よい結果がついてくるんじゃないですか?」ともお話ししました。
たとえ無視されても「和顔施」であいさつ
そしてCさんには、「とにかく気持ちのいいあいさつをしてください」とお伝えしました。ほかにも、新しい職場に移られたばかりの方で、「あまり歓迎されていないようなんです」と悩みを打ち明ける方もいます。そんな時こそあいさつです。
ただその時、相手からもあいさつが返ってくるとは思わないこと。期待しないことです。お金や物がなくてもできる、周りの人たちに喜びを与えて自分を高める方法として、仏教では「無財の七施」という七つの方法を挙げています。その一つに「和顔施(わがんせ/わげんせ)」があります。これは、人ににこやかな顔で接することを指します。こちらからあいさつをしているのに無視されるのはつらいですが、自分だけでも和顔施を実践していれば、いつかそれが相手にも通じてあいさつが返ってくるようになります。
身支度を整えることで気持ちに余裕を
身支度をきちんと整えることも大事です。きらびやかにする必要はありません。事前に会社のことを下調べして職場の雰囲気を知り、その会社にあった清潔感のある服装にすればよいと思います。気持ちも外側も整えれば、気持ちに余裕が生まれます。
余裕がない状態というのは怖いものです。ご縁があって入った場所だと思えば最初から敵対することはありませんが、自分に余裕がないと、相手のちょっとした言動でさえマイナスに捉えて「歓迎されていないのでは」と疑心暗鬼になってしまいます。明るい言葉は明るい気を呼び込みますが、ネガティブな言葉はネガティブなものを呼び込んでしまいます。言霊って本当に怖いんです。
そもそも、その会社に必要とされていないのであれば、採用されたり、迎え入れられたりはしないわけです。多少の緊張はよいのですが、過剰な不安を抱かないようにしてください。新しい職場に出向く際は足元を見ずに上を向いて、「よし頑張ろう」という気持ちで挑んでください。
「お清めの儀式」を持っておく
負の気持ちに捉われてしまった方、あるいは新しい職場でネガティブなことばかり言ってくる人に出会ってしまった方にも対処法があります。それは、どんな形でもよいので、お清めの儀式を持つということ。万人が取り入れやすいのは塩風呂。お塩を一つかみ入れたお風呂に入り、ネガティブな気持ち、言われてイヤだった言葉を洗い流すことをイメージするのです。ぴょんぴょん飛び跳ねるのもおすすめです。これは、自分の中にたまっていた悪いものを下におろしていくイメージです。
つい先日、あるお寺の貫主さま(大きなお寺を代表する住職)とお話する機会がありました。そこで頂いたのは、「思いっきり恥をかきなさい」という言葉。この言葉には、「失敗しなさい」というマイナスの意味ではなく、「自分ができ得る限りの手立てを講じてみなさい」という思いが込められています。一時的に恥をかいたとしても、一生懸命やったことを見てくださっている人はいるし、あなたが行動したことによって救われる人もいるからね、というわけです。
今月のひとこと
過去があるから今があります。過去にしてしまったこと、起きてしまったことは仏さまであっても取り替えることはできません。それならば、「因縁果」の法則を胸に、今与えられた場所、今与えられた役割をよく考え、そこで生じた縁を大切に、前向きに仕事に取り組んでみませんか? 私の大好きな言葉「一隅を照らす」のとおり、その頑張りはやがて誰かの光になるはずです。