一生の仕事に出会う

夫は、イギリスでの永住権を取得していた。北沢さんは結婚と同時に永住権に切り替えることで、転職が可能となり、ここで一生の仕事となる、アシスタンス業に出会う。海外で病気やけがをした際、安心して医療サービスを受けられるようさまざまなサービスを提供したり、海外旅行をより楽しめるようレストランの予約や買い物支援などのコンシェルジェサービスを提供したりするなど、解決の手助けを行うのが、アシスタンスの業務だ。

「最初はカード会社の子会社かなと思い、面接に行ったんです。入社してから、世の中にはこういう仕組みがあったんだなと、どんどんわかっていく、そんな感じでした」

北沢さんに求められたのはスーパーバイザーという業務、これは「使われるだけ」の立場ではない。ここで初めて、管理的な立場で働くようになった。さらに、マネジャーになることが求められた。

「マネジャーになるには試験があるのですが、『明日、受ける?』と唐突に言われ、もう全然ダメ。そこで敗因をきちんと分析して雇用法のトレーニングも受け、どうアプローチすればいいのかがわかってきて、2回目の試験に合格して、晴れてマネジャーになりました」

多国籍の人が働く場で、さまざまな国の案件を扱う中、北沢さんはそれぞれの国の文化や民俗などの違いを踏まえた上で、フェアに対応していくことの大切さを学ぶ。

ここでの経験が、日本に戻ってから、非常に生きた。若干、日本流の味付けも必要だが、基本はここで身に付けたものだ。

ヘッドセットを付けてオフィスで働く女性
写真=iStock.com/nathaphat
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この仕事の認知度を上げていきたい

北沢さんが入社した会社は東京に本社があった。前社長は当時、イギリス支店にも頻繁に訪れ、北沢さんに「日本に戻ったら、東京本社に来てほしい」と声をかけてくれていた。

結婚から約10年後に北沢さんの父が他界し、母が一人になることもあり、夫婦で日本に戻ることにした。北沢さんは40代半ばになっていた。北沢さんは母親の近くで働くことも考えたが、同じ仕事を続けたい思いで東京本社に勤務することとなった。

東京本社においても、北沢さんの仕事に懸ける思いは変わらない。アシスタンスという仕事が持つ社会貢献性の高さを、もっと社会に知ってもらいたいと常に思う日々だ。

「困った人がいたら、親を扱うように扱え」
「民間の大使館になりたい」

前社長の言葉は、今も胸にしっかりと残る。

「私たちの仕事で一番重い事例は、お客様が重篤で自力で日本に帰ることができない場合です。飛行機で、人工呼吸器を外せないケースもあります。チャーター機を手配したり、フライングナースをアレンジしたり、気が抜けないことの連続です。ある方は帰国して、2週間ぐらいでお亡くなりになって、そんなときはやっぱり日本に帰らせてあげられてよかったなと思いますね」