結婚生活は数年で破綻を迎えた
20代の頃に、窪田さんは年下の男性と結婚した。その結婚は数年で終わるのだが、うまく行かなくなったきっかけの一つに夫婦の年収格差があった。
「年収の差が300万円くらいありました。私の給料に対してすごくコンプレックスを抱いてしまって、ギクシャクし始めました」
加えて、当時の働き方がめちゃくちゃだった。総合職になってから、労働時間に残業という概念が無くなった。
「毎日、夜中まで働いていました。労働時間がものすごく長いし、言われた通りにやらないと人格を否定するようなパワハラを受けるので、もう、やらざるを得ない。一度、あまりにつらくて逃げ出したことがあるのですが、やっぱり言われたことをやるしかないと思い、毎日、夜中にタクシーで帰っていました」
離婚し、多額の借金を背負う
お互いの生活時間がバラバラで、結婚生活がうまくいくはずもなかった。夫は会社でトラブルを起こして失踪、家のローンの支払い全額が窪田さん一人の肩にのしかかった。
「仕事がつらくても転職を考えなかったのは、この借金があったからです。転職なんて、到底できませんでした」
男女雇用機会均等法・第一世代である窪田さんに、同法がもたらしたのは何だったのか。
「メリットというのは、しばらく感じませんでした。望んだ部署ではなかったので。メリットを感じたのはずっと後、入社20年ぐらいですね。いろいろな経験をさせてもらった、デザインだけでなく、マネジメントの仕事もやりましたし。何でこんなしんどい仕事をやらされるんだろうって思ったけれど、逆にこんな貴重な体験はないとも思えるわけで、要は自分の捉え方次第なのだというのは、今にして思えばありますね」
確かに、給料は上がった。元夫よりはるかに稼ぐ女となったわけだが、そこに窪田さんの幸せはなかったと言っていい(後編に続く)。
福島県生まれ。ノンフィクション作家。東京女子大卒。2013年、『誕生日を知らない女の子 虐待――その後の子どもたち』(集英社)で、第11 回開高健ノンフィクション賞を受賞。このほか『8050問題 中高年ひきこもり、7つの家族の再生物語』(集英社)、『県立!再チャレンジ高校』(講談社現代新書)、『シングルマザー、その後』(集英社新書)などがある。