「ちゃんとしてあげられへんかったな」弟に対して感じる罪悪感
【大谷さん】だから、弟らも、一番下の子は小学校であらぶってたんで、私が呼ばれたりとか。そのときもう母いないんで、先生に呼び出しくらった。「すみません」って言って謝ったりしましたし、次男が「高校行けへん」とかなったら、もううわって言い合いしたし。だから、親がいなくなってからは私が親みたいになってしまって、やってましたね。
弟のことについて学校から呼び出しをされるということは、学校側も大谷さんに親役割を要求していたということである。周囲からも「親の代わり」として振る舞うように暗黙の圧力があったということだ。「私が親みたいになってしまって」と、親の代理として4人の弟たちの面倒を見ることを強制されている。
【大谷さん】きょうだいなんですけど、変に感じなくていい罪悪感みたいなのはありますね。
【村上】弟さんに?
【大谷さん】そうですね。私がする必要ないんですけど、「ちゃんとしてあげられへんかったな」みたいな。〔……〕もうちょっと若いときはちょっとありましたね。親が感じるような。
「今やったらちゃんとしてあげれたのにな」とかっていうのはありましたね。上2人は「もうしゃあないな」って、何でか知らんけど思いますけど。
大谷さんが上の2人の弟に対して語る罪悪感は、親の代わりになりきれなかったことに対する罪悪感であると読み取ることができる。「私がする必要ないんですけど」と自分の責任ではないのに
罪悪感を覚えるというヤングケアラーは多い。
1970年東京都生まれ。2000年、パリ第7大学で博士号取得(基礎精神病理学・精神分析学)。13年、第10回日本学術振興会賞。専門は現象学。著書に『母親の孤独から回復する 虐待のグループワーク実践に学ぶ』(講談社選書メチエ)、『在宅無限大 訪問看護師がみた生と死』(医学書院)、『子どもたちがつくる町 大阪・西成の子育て支援』(世界思想社)、『交わらないリズム 出会いとすれ違いの現象学』(青土社)、『ケアとは何か 看護・福祉で大事なこと』(中公新書)など多数。