ストレス発散の方法のレパートリーが少ない
生きていると、自分の思い通りにいかないことや納得いかないことはたくさんあります。多くの人は、そうした場合のイライラや怒りは、我慢したり、何か別の方法で発散しながら折り合いをつけていきます。しかし、あおり運転をする人は、その発散の方法のレパートリーが極端に少ないために、いわゆる「弱者」にぶつけてしまうのです。
車は、自分よりも大きくて力がありますが、それが自分の思うままに動いてくれるので万能感を与えてくれます。そうして気が大きくなり、あおることでストレスを発散するわけです。
DVや虐待の加害者も似ています。ストレスを発散する方法をほかに持っていないために、家の中の弱者にぶつけてしまうのです。
「~すべき」という意識が強い
あおり運転をする人は、理由もなくあおっているわけではありません。本人なりの規範意識があり、それがきっかけであおり運転をしてしまっていることが多いのです。
例えば、「もっと余裕を持ってハザードで車線変更を知らせるべきなのに、それを怠っていた。だから怒ってあおった」「信号が赤から青に変わったときは、さっさと加速するべきなのに、そうしなかったからあおった」などです。
もともと「~すべき」という考えが強く、その通りに行動しない人への怒りを抱えやすい。このように、あおり運転をする人は、思考に柔軟性がないことが多いのです。
DVの加害者も、似た傾向があります。「妻は/夫はこうするべき」という意識が強く、それがかなわないとキレて暴力をふるったりします。
「自分は正しく、相手が間違っている」
こうした極端な規範意識を持っている人は、周りの人とトラブルになることも多いと思います。周りからすると「そこまで言わなくていいだろう」と思うようなことも、「相手の方が間違っているから」と攻撃し、正すようしつこく指摘してしまうからです。
これが運転になると、例えば「割り込まれたから」「走行スピードが遅いから」と、何度もクラクションを鳴らす、車間距離を詰めたり幅寄せをしたりしてあおる、などの行動となって表れます。しかし、それがこれまで大きなトラブルにならず、「クラクションを鳴らしたら/あおったら、相手の車が車線を譲ってくれた」など、自分の思い通りになった、相手をコントロールできたという「成功体験」が積み重なっていくと、自分の行動がどんどん正当化されていきます。結局「自分は正しいことをやっているんだ」という認識を強めることになり、あおり運転を繰り返してしまうのです。
だから捕まっても「あいつが割り込んできたからだ」と、ひたすら言い訳をする。成功体験を重ねてしまったために、本人も、思考と行動のゆがみに気付かなくなってしまうのです。