摂政だった昭和天皇の狙撃

たとえば、昭和天皇が摂政だった頃の「虎ノ門事件」はよく知られているだろう。

大正12年(1923年)12月27日、昭和天皇が第48回帝国議会開院式に臨まれるため、その頃お住まいだった赤坂離宮を出発され、虎ノ門交差点にさしかかると、茶色のレインコートを着た男が飛び出し、隠し持っていた仕込み杖銃(外形は杖だが中に銃が仕込んである)で、至近距離から自動車に乗った昭和天皇に向かって発砲。銃弾は窓ガラスを貫通して車内の天井に弾痕を残した。

同乗していた入江為守侍従が窓ガラスの破片で顔を何カ所か切ったものの、幸い昭和天皇にはお怪我はなかった。犯人は山口県出身の難波大助で、その場で取り抑えられた。

事件後、昭和天皇はおよそ以下のような趣旨のことを述べられた。

「日本において皇室と国民の関係は、親愛の情によって結ばれることが大切で、自分もそのように努めてきたつもりであるが、今回のような出来事があったのはじつに残念だ。今後もこのような自分の考えを徹底するようにしてほしい」と(高橋紘氏『人間昭和天皇(上)』に引用のお言葉を意訳)。

なお昭和天皇は、犯人を出した難波家がその後、苦境に陥っているのを心配され、側近を通じて救済策を講じておられる。

ご成婚パレードでの投石

さらに上皇陛下も、2度にわたって危険な場面に遭遇しておられる。

その1度目は、昭和34年(1959年)4月10日、上皇・上皇后両陛下(当時は皇太子・同妃)のご成婚当日の出来事だった。

当時、“平民”出身の正田美智子嬢が皇太子妃になられるということで、国民の盛り上がりは目覚ましく、ミッチーブームが巻き起こっていた。

この日、お祝いのパレードは皇居から渋谷・常磐松ときわまつ東宮仮御所とうぐうかりごしょまでの8.8キロメートルの行程で、沿道はお二人のご結婚をお祝いする53万人もの人々で埋め尽くされていた。

事件は、上皇・上皇后両陛下を乗せたお馬車が二重橋から出て、祝田橋いわいだばしに向けて右折した刹那に起こった。

グレーのスーツを着た少年が突如、屋根をつけないお馬車めがけて投石したのだ。一つは外れ、一つはお馬車に当たった。少年はやにわに駆け寄り、車に手をかけてまさに乗り込もうとした瞬間、逮捕された。あわや危害を加えられる寸前だった。

犯人は「天皇制には反対で……2人を馬車から引きずり降ろし、あとのスケジュールをダメにしてやろうと思った」と語っていた。

国道20号線から東京・銀座地区までの眺め
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