安倍晋三元首相の銃撃事件では、警備の甘さも指摘されている。神道学者で皇室研究家の高森明勅さんは「今回の事件により『テロは簡単』というイメージが広がってしまったのではないか。そして今、とくに心配なのは皇室を狙ったテロだ」という――。
安倍晋三元首相の銃撃を伝える新聞号外を手にする人たち。東京都内で2022年7月8日撮影
写真=EPA/時事通信フォト
安倍晋三元首相の銃撃を伝える新聞号外を手にする人たち。東京都内で2022年7月8日撮影

「テロは簡単」という危険なイメージが生まれた

7月8日、参院選の投開票日を2日後に控えたタイミングで、奈良市の街頭で演説中の安倍晋三元首相が銃撃され、亡くなるという衝撃的な事件が起こった。

首相としての在任期間は憲政史上最長を記録し、政権与党である自民党内の最大派閥の領袖が、白昼公然と銃撃されるという、誰もが予想しなかった惨劇だった。

容疑者は、母親が“霊感商法”や“合同結婚式”などで社会問題にもなっている宗教法人「世界平和統一家庭連合」(旧・世界基督教統一神霊教会=統一教会)に入信し、多額の献金をして生活苦に追い込まれたことを恨み、旧統一教会関連のイベントにビデオメッセージを送るなどしていた安倍元首相を標的として、暴挙におよんだとされている。

詳しく正確な経緯は、今後の検証を待つほかないが、今回の事件で最も懸念すべきは“テロ決行へのハードル”が下がったことではないか。

安倍元首相ほどの超大物であっても、海上自衛隊にわずか3年間ほど務めたにすぎない、ほとんど素人に近い人物がたやすく殺害できてしまう、という事実が全国民の前に示された。それによって、「テロは簡単」という危険なイメージが拡散する結果になったのではあるまいか。

しかも、事件後の各種メディアの大々的な報道は、一面においてテロの“威力”の絶大さを見せつけることにもなった。これは、潜在的に一定数存在すると見られる、テロに魅力を感じるタイプの人間にとっては、危ない誘惑になる可能性を否定できない。

私がとくに心配するのは、礼を失するようで申し訳ないが、皇室を狙ったテロの可能性だ。

宮内庁に送りつけられた包丁

つい先頃、6月25日には刃渡り17センチメートルの包丁が宮内庁に送りつけられる事件が起きている。この件は、包丁を送ったという愛知県在住の20代のアルバイトの男がすでに逮捕され、本人も容疑を認めているので、これ以上不安がる必要はないだろう。

他にも、一昨年(令和2年[2020年])10月19日に、不審な中国人男性が皇居内に侵入し、1時間ほどあちこちを歩き回った末に身柄を確保される事件があった、と『週刊新潮』の6月30日号が報じている。この人物は、宮内庁の庁舎に入って食堂で昼食を食べていたというから、同庁の不用心さに呆れる。

このたびの安倍元首相殺害事件のような極めてインパクトの強い事件が起こると、予想外の波紋を広げるおそれがある。とりわけ、皇室のように常に注目度の高い存在は、より厳重な警戒が求められる。

実際にはあってはならないことながら、皇室はこれまでも繰り返しテロの対象になってきた事実がある。

摂政だった昭和天皇の狙撃

たとえば、昭和天皇が摂政だった頃の「虎ノ門事件」はよく知られているだろう。

大正12年(1923年)12月27日、昭和天皇が第48回帝国議会開院式に臨まれるため、その頃お住まいだった赤坂離宮を出発され、虎ノ門交差点にさしかかると、茶色のレインコートを着た男が飛び出し、隠し持っていた仕込み杖銃(外形は杖だが中に銃が仕込んである)で、至近距離から自動車に乗った昭和天皇に向かって発砲。銃弾は窓ガラスを貫通して車内の天井に弾痕を残した。

同乗していた入江為守侍従が窓ガラスの破片で顔を何カ所か切ったものの、幸い昭和天皇にはお怪我はなかった。犯人は山口県出身の難波大助で、その場で取り抑えられた。

事件後、昭和天皇はおよそ以下のような趣旨のことを述べられた。

「日本において皇室と国民の関係は、親愛の情によって結ばれることが大切で、自分もそのように努めてきたつもりであるが、今回のような出来事があったのはじつに残念だ。今後もこのような自分の考えを徹底するようにしてほしい」と(高橋紘氏『人間昭和天皇(上)』に引用のお言葉を意訳)。

なお昭和天皇は、犯人を出した難波家がその後、苦境に陥っているのを心配され、側近を通じて救済策を講じておられる。

ご成婚パレードでの投石

さらに上皇陛下も、2度にわたって危険な場面に遭遇しておられる。

その1度目は、昭和34年(1959年)4月10日、上皇・上皇后両陛下(当時は皇太子・同妃)のご成婚当日の出来事だった。

当時、“平民”出身の正田美智子嬢が皇太子妃になられるということで、国民の盛り上がりは目覚ましく、ミッチーブームが巻き起こっていた。

この日、お祝いのパレードは皇居から渋谷・常磐松ときわまつ東宮仮御所とうぐうかりごしょまでの8.8キロメートルの行程で、沿道はお二人のご結婚をお祝いする53万人もの人々で埋め尽くされていた。

事件は、上皇・上皇后両陛下を乗せたお馬車が二重橋から出て、祝田橋いわいだばしに向けて右折した刹那に起こった。

グレーのスーツを着た少年が突如、屋根をつけないお馬車めがけて投石したのだ。一つは外れ、一つはお馬車に当たった。少年はやにわに駆け寄り、車に手をかけてまさに乗り込もうとした瞬間、逮捕された。あわや危害を加えられる寸前だった。

犯人は「天皇制には反対で……2人を馬車から引きずり降ろし、あとのスケジュールをダメにしてやろうと思った」と語っていた。

国道20号線から東京・銀座地区までの眺め
写真=iStock.com/We-Ge
※写真はイメージです

動じず微笑みを浮かべていた妃殿下

この時、24歳だった上皇后陛下のご態度について、現場を目撃していた記者は次のように書いていた。

「御馬車が皇居から出て間もなく兇漢きょうかんが妃殿下をめがけて投石し、御車を襲った。妃殿下は体を傾けて難を避けられたが、それは瞬間のことであった。直ちに立ち直って、今までと少しも変わらぬ微笑を浮かべて歓呼する大衆へ会釈された。沿道の大衆が仰いだ妃殿下の御表情には、何事もなかったかのような明るい静かな微笑があった。必死狂暴の形相ぎょうそうをもって襲い来たる兇漢を、いま寸尺すんしゃく(わずかな長さ)の間に見た人の表情とは、到底思われない穏やかさだった。これはまことに驚嘆すべきものであった。

このことは妃殿下の御結婚に対するなみなみならぬ御覚悟のほどを察せしむるに十分であろう」(「神社新報」昭和34年[1959年]4月18日号)

たしかに今、往時の記録映像を拝見しても、上皇后陛下の「明るい静かな微笑」には一点の恐怖の影も認めることができない。その驚くほどの「穏やかさ」に、暴漢が襲いかかった確かな事実を逆に疑いたくなるほどだ。

沖縄で火炎ビンを投げつけられた

沖縄での「ひめゆりの塔事件」は有名だろう。これは、一歩間違えば取り返しのつかない惨事になるところだった。

昭和50年(1975年)7月、上皇・上皇后両陛下が沖縄海洋博開会式に際し、昭和天皇のご名代として沖縄を初めて訪れられた。

その頃は、沖縄では戦争で多くの犠牲者を出した記憶が生々しく、天皇・皇室に対しても複雑な感情を抱く県民が少なくなかった。「天皇制打倒」を唱える本土の左翼過激派の活動家も沖縄に入っていた。

県内各地で反対のデモが繰り広げられる中、上皇陛下は戦没者を追悼しようとされる強いお気持ちから、公式行事としてはお出ましになる必要がない、南部戦跡にわざわざ向かわれた(同17日)。

最初の巡拝先は「ひめゆりの塔」。事件はここで起こった。両陛下がご拝礼を終えられた直後に、地下壕から2人の過激派活動家が現れて、火炎ビンを投げつけた。炎は両陛下のすぐ近くで燃え上がり、危うくご一命に関わるところだった。

警備関係者が直ちに避難していただこうとすると、陛下は「私は大丈夫。(現地でご説明役をされていた「ひめゆり部隊」の生き残りの)源(ゆき子)さんはどうですか。源さんを見てあげてください」と、源氏に危害が及んでいないかどうか、ひたすら気にかけておられた。

しかもその後、何事もなかったかのように予定通り、「魂魄こんぱくの塔」「健児の塔」などを巡拝されている。そのお姿を間近に拝見して、沖縄復帰のシンボル的存在だった県知事の屋良やら朝苗ちょうびょう氏は、「あれほど敬虔な態度で参拝された方は、ご夫妻以外おられない」と涙を流したという。

上皇陛下はその後も、皇太子時代に5回、天皇になられて6回、合計で11回も沖縄を訪れておられる。ご即位後、初めて訪れられた平成5年(1993年)4月25日の第44回全国植樹祭のおりには、集まった人々が手に手に日の丸の小旗を振って、陛下への歓迎の気持ちを表した。普通、植樹祭で日の丸の小旗を持つことはないから、県民の強い思いがこうした行動につながったのだろう。

悠仁親王殿下の襲撃未遂事件

このような過去の事例を見ると、残念ながら皇室も決してテロとは無縁ではなかったことが分かる。

現在の皇室に直接かかわる不穏な出来事は、平成31年(2019年)4月26日に起こっている。秋篠宮家のご長男、悠仁親王殿下が通学しておられたお茶の水女子大学附属中学校に不審人物が侵入し、殿下の教室の机の上に果物ナイフが2本置かれていた事件だ。犯人は「刺すつもりだった」と供述していた。

この時は、たまたま体育の授業で殿下が教室におられなかったから大事に至らずにすんだが、普通の授業が行われていたら、一体どうなっていたか。あまりにも杜撰ずさんな警備態勢に多くの人が衝撃を受けた。

女性天皇の排除はテロを誘発しかねない

現在の皇室典範のルールでは「女性天皇」も「女性宮家」も認めていない。そのために、内親王方がおられても、天皇陛下の次の世代の皇位継承資格者は悠仁殿下ただお一人だけで、皇室の将来が極めて不透明になっている。たったお一人の安否がそのまま皇室“そのもの”の存亡に直結するというのは、どう見ても異常事態ではないだろうか。

これは率直に言って、テロの“威力”を極大化させ、この上なくテロを誘発しやすい状態だろう。皇室典範の見直しは、こうした観点からも必要だ。

ところで直接、天皇陛下ほか皇室の方々を護衛し、皇居などを警備するのは皇宮警察の任務だ。“テロのハードル”が下がったと見られる現在、その責任はいよいよ重大と言わねばならない。しかし、近来、皇宮警察についてしばしば不祥事は耳にするのはどうしたことだろうか。改めて言うまでもないが、奈良県警の失態を皇宮警察が繰り返すようなことは、決して許されない。