「見極め」が終われば「縁」を切ってもいい
もちろん、不満は一人で抱え込まず、夫に話してもいいと思います。でも、ただ不満をぶつけるのではなく、「同事」を忘れないようにしてください。夫の方も、実は心の中では「どうして母と妻はうまくいかないんだろう」と悩んでいるかもしれない。母親に直接、意見すれば、母からは「なぜ嫁の肩ばかり持つんだ」と言われてしまうでしょうし、逆も然りです。それ以前に、親のことを悪く言われるのはいい気がしないものじゃないですか。
こうして四摂法を実行し、それでも受け入れられない、自分がつらいようなら、縁を切ってもよいと思います。そこまですれば、あなたは相手を「見極めた」ことになります。「身内だから」「家族だから」と無理を続けることはありません。
かといって真っ向から「もう会いません」「縁を切ります」と、スパっと関係を切る必要はありません。そうしてしまうと、相手からも周りからも責められたりして、余計に自分がつらい立場に追い込まれてしまう可能性もあります。
そんな時は、笑顔を絶やさず、背中を見せず、すーっとそのまま後ろに下がって距離を取るんです。コロナや仕事、子どもの用事などを口実に、里帰りをやめたり、連絡を取ることを最低限にしたりしましょう。歩み寄りの努力をやめ、自分の心の中で「縁を切った」と思うのです。
仏教では、ご縁というのは仏様が決めるものとされています。結婚も離婚もそうですし、親子や友人関係もそうです。四摂法を実践し、努力してもうまくいかない、つらいだけの関係ならば、それは仏様が「ご縁がない」と決めたということ。罪悪感を持つ必要はありません。
“もう一人の自分”と対話する
もうひとつ、嫁姑問題に悩んでいた方のお話をします。
私のところに相談に来たBさんは50代。自宅の近くにある夫の実家は、代々商売をされていて、80代のお姑さんからは「私が若い頃はしょっちゅう家業を手伝っていたのに、なぜあなたは手伝わないんだ?」とたびたび嫌味を言われていたそうです。
その年代のお姑さんには、昔ながらの「理想の嫁像」がまだ残っているのでしょう。しかし、今は時代が違います。Bさんにも仕事があり、家業を手伝う余裕はありません。
この時私はBさんに「“もう一人の自分”と相談してみたら?」とお話しました。
一人で考えていると、どんどん感情的になってしまい、視野が狭くなってしまいます。そこで“もうひとりの自分”を作り出して対話すれば、客観的な視点が生まれます。そうすると、四摂法を実践してみようという新たな視点も生まれてきます。