「瓶のふたを開けに来い」という姑
人間関係は、相手によって合う・合わないがあります。一目会った瞬間から「この人とは気が合う」と思える人もいれば、どこまでいっても合わない人もいます。それが仕事関係であれば、業務上は大人の対応をして、それ以外は会わなければいいだけの話ですし、職場の上司なら転職という手もあります。
しかし、姑の場合はそうはいきません。気が合わないからといって簡単に縁を切ることはできませんし、それが原因で夫婦仲までこじれたり、両親と義理の両親がもめることもあります。嫁姑問題に苦しんでいる人は本当に多く、私のところに来られる方の相談でも一番多いです。永遠のテーマだと思います。
「夫のことは好きだけど、義母と会いたくないので里帰りしたくない」など、相談は妻の側から受けることが多いです。ただそうなると、夫は母親と妻の間で板挟みになってしまいますし、孫はおばあちゃんに会えなくなってしまう。影響が家族全体に広がります。
以前、相談を受けたある40代の女性は(仮にAさんとしましょう)、近所に住んでいるお姑さんから「ジャムの瓶のふたが開かないから開けに来てくれ」「今からそうめんをゆでに来い」など、ささいなことで呼びつけられてはこき使われていたそうです。まるで王様と家来のように……。このままでは、Aさんの心身が持たないと感じました。
人間関係の改善に役立つ「四摂法」の教え
では、どうやって解決するか。私がこの時、Aさんにお話したのは、仏教の教えの中の「四摂法」についてです。聞きなれない言葉だと思いますが、人との関わり方について説いた仏教の教えの一つです。「人付き合いの極意」ともいえるもので、四つの教えから構成されています。
一つ目の教えは「布施」。「お布施」はよく聞く言葉ですが、これは単に物をあげるということではなく、自分が学んだものを与えることも含みます。物質的、精神的に自分が得たものを人に分け与えよという意味です。
二つ目は「愛語」。愛情がこもった優しい言葉を相手にかけましょうという意味です。
三つ目は「利行」です。人は、行動を起こすときに何かしらの見返りを求めてしまうものですが、見返りを求めず相手のためになる行いをすることを指します。
四つ目は「同事」といって、相手の立場になって物事を考え、平等に行動しなさいという意味です。
「私は“菩薩行”をやっているんだ」
嫁姑間がこじれる多くのケースは、「ここまでやってあげたのに、お義母さんからは感謝の言葉がない」とか、「うちの嫁は孫に土産を渡しても嬉しそうな顔ひとつしない」など、相手に何かを期待をして、それが裏切られたことが発端になることが多い。ですから、Aさんには、「相手に期待しないこと。そして、つらい時は『四摂法』を思い出し、四つの教えをうまく組み合わせながら実践してみて」とお話ししました。
「四摂法」を実践すると、お姑さんからいじわるをされても、「私は、菩薩になるための修行、“菩薩行”をやっているんだ。この意地悪いおばあさんを、どうやったら救ってあげられるかしら」と考えられるようになってきます。孫悟空を手のひらに載せて、上から見守るお釈迦様のような心境です。そうすると心の置き場ができて、心が軽くなります。実際、Aさんは今ではお姑さんと衝突せずうまくやっているそうです。
もうひとつ、あらゆる人間関係に効く、万能の言葉があります。私は、イヤな相手に意地の悪いことを言われたら、「その通りですね。ありがとうございます」と返すようにしています。この「ありがとう」こそ万能で、上手に何度も使っていれば、相手の気持ちを和ませ、嫌みやマウンティングを止められるようにもなります。
関係を切る前に「四摂法」を実践する
しかし世の中には、こちらがいくら受け止め方を変えてもしつこく悪意をぶつけてくる人というのはいます。一緒にいるとつらくなり、自分の心身に影響が出るようであれば、そんな関係は切ってもいいと思います。
ただ、その前に、まずは先ほどお話した「四摂法」を試してみてください。
ちょっとしたいただきものをおすそ分けするなどの「布施」を行い、歩み寄りの心を持つ。いくらお姑さんが上から目線でマウントを取ってキツいことを言ってくるようでも、「お元気でしたか?」「元気そうでよかった」と優しい言葉をかける「愛語」を実践する。布施や愛語を行うときも、見返りは求めない。「後から優しい言葉をかけてもらおう」などと思わず「利行」を貫く。
そして最も大切なのが「同事」です。「キツくあたってくるのは、息子を取られたように感じているからじゃないか」「自分が若いときに、姑から同じように意地悪をされたからじゃないか」など、相手の身になって想像してみる。それで自分のつらさが軽減されるとは限りませんが、「同事」の心を持つことで、少しは「この人はこういう人だから」と相手を受け入れる気持ちが持てるかもしれません。
「見極め」が終われば「縁」を切ってもいい
もちろん、不満は一人で抱え込まず、夫に話してもいいと思います。でも、ただ不満をぶつけるのではなく、「同事」を忘れないようにしてください。夫の方も、実は心の中では「どうして母と妻はうまくいかないんだろう」と悩んでいるかもしれない。母親に直接、意見すれば、母からは「なぜ嫁の肩ばかり持つんだ」と言われてしまうでしょうし、逆も然りです。それ以前に、親のことを悪く言われるのはいい気がしないものじゃないですか。
こうして四摂法を実行し、それでも受け入れられない、自分がつらいようなら、縁を切ってもよいと思います。そこまですれば、あなたは相手を「見極めた」ことになります。「身内だから」「家族だから」と無理を続けることはありません。
かといって真っ向から「もう会いません」「縁を切ります」と、スパっと関係を切る必要はありません。そうしてしまうと、相手からも周りからも責められたりして、余計に自分がつらい立場に追い込まれてしまう可能性もあります。
そんな時は、笑顔を絶やさず、背中を見せず、すーっとそのまま後ろに下がって距離を取るんです。コロナや仕事、子どもの用事などを口実に、里帰りをやめたり、連絡を取ることを最低限にしたりしましょう。歩み寄りの努力をやめ、自分の心の中で「縁を切った」と思うのです。
仏教では、ご縁というのは仏様が決めるものとされています。結婚も離婚もそうですし、親子や友人関係もそうです。四摂法を実践し、努力してもうまくいかない、つらいだけの関係ならば、それは仏様が「ご縁がない」と決めたということ。罪悪感を持つ必要はありません。
“もう一人の自分”と対話する
もうひとつ、嫁姑問題に悩んでいた方のお話をします。
私のところに相談に来たBさんは50代。自宅の近くにある夫の実家は、代々商売をされていて、80代のお姑さんからは「私が若い頃はしょっちゅう家業を手伝っていたのに、なぜあなたは手伝わないんだ?」とたびたび嫌味を言われていたそうです。
その年代のお姑さんには、昔ながらの「理想の嫁像」がまだ残っているのでしょう。しかし、今は時代が違います。Bさんにも仕事があり、家業を手伝う余裕はありません。
この時私はBさんに「“もう一人の自分”と相談してみたら?」とお話しました。
一人で考えていると、どんどん感情的になってしまい、視野が狭くなってしまいます。そこで“もうひとりの自分”を作り出して対話すれば、客観的な視点が生まれます。そうすると、四摂法を実践してみようという新たな視点も生まれてきます。
関係性が変化する可能性も
例えば「またお義母さんに『少しは仕事を手伝いに来なさい』と言われちゃった。ものすごく不快なんだけど、どう思う?」「それじゃあ、1週間に1回でも時間をつくって、手土産でも持って顔を出したら? 他の従業員を味方につけることができるかもしれないし」といった具合です。
先ほどお話しした通り、四摂法を実践しても、どうしても追い詰められてつらくなるようなら、心の中で縁を切って離れていけばいい。でも、四摂法によって、ギスギスした関係性が変化するなら、それに越したことはないじゃないですか。Bさんの場合も、もう一人の自分と対話しながら四摂法を行うことで、自分の心の中が怒りやイライラでいっぱいになることが減り、お姑さんとの関係も改善の方向に進んでいるそうです。「コロナの状況が落ち着いたら、(夫の実家の会社で)しばらくやめていた歓送迎会をやるんですが、私も参加することになっています」と話してくれました。
今月のひとこと
人や物は、悪い面を見ようと思えばとことん悪く見えます。ですから、お姑さんのかわいいところを探すんです。それは、髪の毛がくるんと巻いているところかもしれないし、ちょっとドジなところかもしれない。夫に、母親との思い出を聞いてみるのもいいと思います。お姑さんの、知らなかった一面が見えてきて、「もしかしたら、あんな言い方をしていたのは、お義母さんにこんな面があるからなのかもしれない」といった理解につながるかもしれない。家族関係って、そういう些細なことがきっかけで、よい方向に向かうこともありますから。
四摂法は、家族、友人、仕事など、あらゆる人との関わりの基本といえます。相手を変えるのは本当に難しいものですが、自分の行動なら変えられます。四摂法を実践することで、相手との関係がよいものに変わればよいですが、それでも変わることがなく、つらい思いが続いて自分の心身が健康に保てないのであれば、それは「ご縁がなかった」と考えてもよいと思います。