2人の母に育てられ、雑誌配達やレジ打ちも

マリン首相のエネルギッシュなパワーは一体どこから来ているのだろう。それには、彼女の複雑な生い立ちも影響しているのかもしれない。

マリン首相の母親は孤児院育ち。父親は彼女がまだ幼い頃、アルコール依存症になった。暴力をふるう父親から逃れるように母親と保護シェルターに駆け込んだという。両親が離婚すると、母親は女性のパートナーと暮らし始め、彼女は2人の母親に育てられた。彼女が「レインボーファミリーで育った」といわれるゆえんである。

「私たちは本当の家族として見られていませんでした。そしてほかの人と対等に見られてもいなかった。私にとって人はみな平等です。それが全ての基本です」。彼女は、幼い頃の経験がのちの政治姿勢に影響したと語っている。

その後、お金を稼ぐために、パン屋で働いたり、雑誌を配達したりしたという。ソコスというデパートの食品売り場でレジ係としても働いた。そして、家族の中で初めて大学に進学。タンベレ大学で行政学を学び、学士と修士を取得した。

21歳の時、社会民主党の青年組織に参加。2013年、27歳でフィンランド第3の都市であるタンペレ市の市議会議長に、2015年には国会議員になる。交通・通信大臣を経て、2019年に世界で一番若い首相になった。

情報発信に長けた「インスタ世代の政治家」

プライベートでは、16年間付き合った元サッカー選手と、首相就任後に結婚式を挙げている。娘を出産した後は、それぞれが6カ月の育児休業を取得したそうだ。ほほえましい子育て中の様子を頻繁にインスタグラムに投稿する、いまどきのインスタ世代の政治家でもある。

「私は自分が50歳の男性議員よりも劣っているとも優れているとも思っていません。それでも、私が任務をまっとうし、国が抱えるさまざまな問題を解決に導くことができれば、政治家を夢見る世界中の少女たちの希望になることができるかもしれない。政治の世界にもロールモデルは必要。そんなふうに思っています」と、フランス版『ELLE』の取材に語っている。

貧しい家庭から苦労して大学を出て政治家になったという生い立ちを、マリン首相は意識して語っているのではないかと言うのは、比較政治学、フィンランド地域研究を専門とする東海大学北欧学科講師の柴山由理子さんだ。

「自分の生い立ちが国際的にうけることを、マリン首相も分かっているのでしょう。そこは『うまいな』と思って見ています。フィンランド社会はかなり平等なので、貧しい家庭であっても教育は受けられますし、大学も、大学院進学もお金がかからない。フィンランドでは特別なことではないんです」と言う。

また、マリン首相が政治活動を始めたのは、ちょうど若手や女性の政治家が増えていた時期。彼女もそんな流れに乗ったといえそうだ。

1960年代、70年代に労働運動を牽引して政治家になった世代が退職の時期を迎え、世代交代の波が来たということもある。マリン首相は、そんな中で首相の座を勝ち取ったのだ。