フィンランドが今年5月、NATOへの加盟を申請した。ジャーナリストの大門小百合さんは「NATO加盟問題が佳境に差し掛かる中、日本を訪れたマリン首相に、大国ロシアを隣国に持つフィンランドのしたたかさと、ウクライナの二の舞を恐れる必死さを感じた」という――。
ウクライナを訪問したフィンランドのマリン首相(左)と、ゼレンスキー大統領=2022年5月26日、キーウ
写真=AFP/時事通信フォト
ウクライナを訪問したフィンランドのマリン首相(左)と、ゼレンスキー大統領=2022年5月26日、キーウで撮影

各国首脳への積極外交

長い間、ロシアを刺激しないよう中立的な立場をとっていたフィンランドが5月、北大西洋条約機構(NATO)に加盟申請し、世界の注目を集めた。そのフィンランドを率いるのが36歳の若き女性リーダー、サンナ・マリン首相だ。

マリン首相は5月11日に日本を訪れ、東大の安田講堂で「デジタル化の社会的影響5G/6Gのその先の社会に向けて」というセミナーで基調講演をした。

この手の基調講演は、セミナーのテーマに沿って話をするのが常だが、スピーチの冒頭に首相の口から飛び出したのは、「われわれの安全保障の環境は変わってしまった。ロシアのウクライナに対する戦争によって、世界は今後数年で大きく変わるでしょう」という言葉だった。私も会場でこの講演を聞いていたが、マリン首相が「世界はロシアの侵略を可能な限り強い言葉で非難すべきだ。戦争を止めるために、われわれはもっと多くのことをする必要がある」と強い口調で訴えかけたのが印象的だった。

そもそもマリン首相は、NATO加盟には慎重だと言われていた。それが、ロシアのウクライナ侵攻から2カ月余りで、スウェーデンの首相と共同会見を行い、NATO加盟を検討していると発表した。そして5月18日には、スウェーデンと共にNATOに加盟申請した。

さらに5月26日、マリン首相は戦渦のウクライナにいた。ゼレンスキー大統領と会談し、多くの民間人が犠牲になったことで知られるキーウ近郊の激戦地ブチャとイルピンも訪れている。

ロシアの隣に位置するフィンランドの若きリーダーが、各国首脳に積極外交を仕掛ける姿勢は、目を見張るものがある。「世界一幸せな国」とも言われるフィンランドのこのリーダーから、私たちも学べることがあるのではないか。そんな気がして、あらためてマリン首相について調べてみた。

史上最年少のリーダー

マリン首相の政権は、2019年の発足当初から注目されていた。

フィンランド史上最年少の34歳で、当時、世界でも最年少のリーダーとなった。連立を組んだ5党党首の全員が女性で、内閣は12人の女性、7人の男性でスタートした。現在も19閣僚のうち10人が女性だ。閣僚の半分以上が女性とは、世界経済フォーラム(WEF)2021年のジェンダーギャップ指数で120位の日本からは、とても考えられない。ちなみにフィンランドの同指数における順位は、アイスランドに次いで世界第2位である。

実は私は、2019年スイスで開かれたダボス会議で、就任間もないマリン首相のインタビューを試みたことがある。案の定、時間がなくて無理だという回答をいただいたのだが、あとで聞くと、就任直後400以上のメディアから取材依頼があったという。

2人の母に育てられ、雑誌配達やレジ打ちも

マリン首相のエネルギッシュなパワーは一体どこから来ているのだろう。それには、彼女の複雑な生い立ちも影響しているのかもしれない。

マリン首相の母親は孤児院育ち。父親は彼女がまだ幼い頃、アルコール依存症になった。暴力をふるう父親から逃れるように母親と保護シェルターに駆け込んだという。両親が離婚すると、母親は女性のパートナーと暮らし始め、彼女は2人の母親に育てられた。彼女が「レインボーファミリーで育った」といわれるゆえんである。

「私たちは本当の家族として見られていませんでした。そしてほかの人と対等に見られてもいなかった。私にとって人はみな平等です。それが全ての基本です」。彼女は、幼い頃の経験がのちの政治姿勢に影響したと語っている。

その後、お金を稼ぐために、パン屋で働いたり、雑誌を配達したりしたという。ソコスというデパートの食品売り場でレジ係としても働いた。そして、家族の中で初めて大学に進学。タンベレ大学で行政学を学び、学士と修士を取得した。

21歳の時、社会民主党の青年組織に参加。2013年、27歳でフィンランド第3の都市であるタンペレ市の市議会議長に、2015年には国会議員になる。交通・通信大臣を経て、2019年に世界で一番若い首相になった。

情報発信に長けた「インスタ世代の政治家」

プライベートでは、16年間付き合った元サッカー選手と、首相就任後に結婚式を挙げている。娘を出産した後は、それぞれが6カ月の育児休業を取得したそうだ。ほほえましい子育て中の様子を頻繁にインスタグラムに投稿する、いまどきのインスタ世代の政治家でもある。

「私は自分が50歳の男性議員よりも劣っているとも優れているとも思っていません。それでも、私が任務をまっとうし、国が抱えるさまざまな問題を解決に導くことができれば、政治家を夢見る世界中の少女たちの希望になることができるかもしれない。政治の世界にもロールモデルは必要。そんなふうに思っています」と、フランス版『ELLE』の取材に語っている。

貧しい家庭から苦労して大学を出て政治家になったという生い立ちを、マリン首相は意識して語っているのではないかと言うのは、比較政治学、フィンランド地域研究を専門とする東海大学北欧学科講師の柴山由理子さんだ。

「自分の生い立ちが国際的にうけることを、マリン首相も分かっているのでしょう。そこは『うまいな』と思って見ています。フィンランド社会はかなり平等なので、貧しい家庭であっても教育は受けられますし、大学も、大学院進学もお金がかからない。フィンランドでは特別なことではないんです」と言う。

また、マリン首相が政治活動を始めたのは、ちょうど若手や女性の政治家が増えていた時期。彼女もそんな流れに乗ったといえそうだ。

1960年代、70年代に労働運動を牽引して政治家になった世代が退職の時期を迎え、世代交代の波が来たということもある。マリン首相は、そんな中で首相の座を勝ち取ったのだ。

危機対応では高い評価

首相就任直後にコロナのパンデミックが起こり、ロシアのウクライナ侵攻でも対応を迫られるなど、マリン首相の就任後2年半は危機の連続だった。

コロナでは、いち早く2カ月間のロックダウンを行い、現在多くのフィンランド国民が使っているコロナ追跡アプリも導入した。おかげで、ヨーロッパの中でも感染者数、死者数ともに低く抑えられた。また、頻繁に記者会見をするなど、国民への説明も丁寧だったという。

ほかにも、義務教育を18歳まで延ばしたり、長年の懸案だった社会保障改革に取り組んだりと、福祉国家としての政策を積極的に進めている。

もともと、彼女の政治的なスタンスはリベラルで左寄りだ。

EUで激しい議論が続く難民の受け入れに関しても積極的だ。また、人々がもっと家族と一緒に過ごせるよう週休3日にするべきだとも述べている。そして、ジェンダー平等、ホームレス支援にも力を入れており、2027年にはこれらの問題を完全に解決したいと述べている。

マリン首相は、これまで危機対応で評価されてきた。しかし今後、平時に戻った時に、どのように国民の評価がくだるかは未知数だ。実際に、最近の世論調査では支持率に陰りが見え始めている。

支持率には陰りも

昨年末に発表されたカンターTNSによる世論調査によると、マリン首相の支持率は、2020年の夏の80%から、53%に落ちたという。政府に対する支持率も71%から48%に減っている。

「与党の宿命とも言えますが、与党は常に批判されます。(マリン首相の)社民党が特に目立って落ち込んでいるわけではないですが、政党支持率の直近の調査では、野党第一党が1位を獲得しています」と柴山さんは言う。

そして、「一時の危機的な状況から脱して落ち着いてくると、コロナで職を失った人の不満も噴出してくるでしょうし、ロシアとの断絶で起きる経済的なマイナスも見えてくるでしょう。もっと批判がでてくるかもしれない」と指摘する。

世論の変化に反応したNATO加盟申請

マリン首相と、外交をつかさどるサウリ・ニーニスト大統領のNATO加盟申請という決断は、世論の動向に敏感に反応した結果ともいえる。

フィンランドでは、NATOに入ることに慎重な人が多かったが、ロシアのウクライナ侵攻以降、NATO加盟支持の世論が劇的に高まった。

フィンランドの国営放送Yleが行った調査によると、2022年2月には、NATO加盟賛成が53%だったが、3月には62%に増えた。2017年11月の同調査では、59%が反対だったのに比べると急増である

この背景には、「フィンランドがウクライナのようになるのではないか」との恐怖がある。ロシアと1300キロメートルの国境を接するフィンランドにとっては、当然の心配だろう。実際、フィンランドには、第2次世界大戦中に当時のソ連に侵攻され、領土の一部を失った歴史がある。冷戦後もロシアを刺激しないようNATOにも加盟せず中立を守ってはいたが、徴兵制を維持するなど警戒していた。

今回、フィンランドとスウェーデンはNATO加盟の申請に踏み切ったとはいえ、トルコの反対もあり、申請が通るかは予断を許さない状況だ。

フィンランドの地図。東側国境をロシアと接する
写真=iStock.com/PeterHermesFurian
フィンランドの地図。東側国境をロシアと接する

「こんな時だからこそ」の積極外交

柴山さんは、NATO加盟問題が佳境に差し掛かっているため、マリン首相の日本訪問は見送られるのではないかと思っていたという。

「『今は国内が大変だから日本に行っている場合ではない』と見送ったりせず、そんな時にあえて訪日し、安全保障面も含めて日本と対話を行ったり、関係強化を図ったのは素晴らしい判断だったと思います。このようなタイミングだったからこそ、今回の訪問は世界にフィンランドを強く印象づけたように思います」

フィンランドは普段、国際ニュースに頻繁に登場する国ではない。ところが、今はマリン首相がいることで、注目されていると感じるフィンランド人も少なくないそうだ。来日中も首相は、インスタグラムなどのツールをうまく活用し、プライベートの姿も見せながら積極的に発信していた。

「日本や世界に対し、今こうしてフィンランドが他国との関係強化にも力を入れ、一生懸命やっていることを見せることで、関心を引くことができる。グローバルで存在感が増せば、安全保障上の抑止力も生まれるのではないでしょうか。小国にとっては『関心を持ってもらう』ことが非常に大切なのです」と柴山さんは言う。

そんなマリン首相のやり方は、世界に向かって必死で発信を続けるウクライナのゼレンスキー大統領の姿とも重なる。

ロシアの隣に位置するフィンランド。ロシアの反対側の隣国は日本である。「地理は変えることはできない」というが、世界と国内世論をしっかりと見据えて行動する、インスタ世代のフィンランドのリーダーから、日本も学ぶべきことがありそうだ。