“アシスタント”になってしまった料理教室

料理教室は昼間のコースに出席してたんですが、私以外の生徒は「幾千もの料理をこなし達人の領域に到達したがそれでもいまだ料理への熱意が高いマダム」という雰囲気の女性たちでした。

しかも料理番組みたいに小皿に調味料を用意して「はい始めましょう」とスタートします。手際のいいマダムたちとの共同作業なので、気づいたら私はおたまを渡したりする役になっていました。横に立っててのぞいて、たまに鍋かき混ぜたりするアシスタントアナウンサーの立ち位置。

さらに使った用具や食器はその場ですぐ先生がどんどん片付けて洗ってしまうんですね。初回で「アッ……(まちがえたとこに入ってもうた)」と思ったけど、5回分チケット買ってしまったのでしばらく通ってアシスタントをしてました。

アシスタントになってしまった料理教室
イラスト=田房永子

家庭料理コースにしたんだけど、マダムたちの要望に合わせてあるのか、10人前のどデカいラザニアとかサーモンを薔薇ばらみたいにくるくるして盛りつける華やかサラダとか、ホームパーティーメニューが多く、結局「後片付けの段取り」は習得できませんでした。

後片付けの段取りもだし、私は料理そのものにも自信がないんです。

自分のための料理ならミシュラン級

自分一人が食べる料理だとおいしくできるんです。塩加減も自分の舌だけは熟知したミシュラン5つ星レベルです。でも見た目がグチャグチャだったり、私の好みなだけだったりするから、家族に出す料理とまた違うんですよね。

自信ない、家族からの反応も薄い、反応があっても自信ないから気を使ってるのかなって気持ちになる、だからなるべくならやりたくない。

だけど世の中は「お母さん」になったら当然毎日やりますよね、って感じだし、なんか「おふくろの味」みたいな「うちのお母さんのあの料理が好き」って子どもが言うみたいなのあるじゃないですか。「実家に帰ったら必ず作ってって頼むメニュー」みたいなやつ。あれがない。こんなに毎日いろいろ作ってるのに代表作がない。ホームランを打ったことがない。そこにすごいプレッシャーを感じていました(そんなに思い詰めなくていいのに……)。

そのうち、コロナ禍になって自炊の回数が増えた頃、料理を億劫に感じる自分を責めるのではなく、「もういいわ、無理なんだ」とあきらめてみることにしました。

私は昔から絵を描くのは好きでした。でも料理は得意じゃない。

もし「お母さんになったら絵を毎日描きましょう」という世の中だったら、きっとそんなに苦労なく毎日絵を描くと思います。でも、絵を描くのが苦手な人は「お母さんだからってどうして毎日絵を描かないといけないんだろう」と、つらいと思うんですよね。

でもこの世は、お母さんは絵は描かなくていいけど、ごはんは毎日子どもに食べさせなきゃいけない、ってことになっている。ただそれだけですやん、と開き直ることにしたのです。

すると、ある出来事をちょくちょく思い出すようになりました。