母であることの「後悔」、母であることの「つらさ」
母であることの苦難の議論になだれ込むと、後悔という概念が与えるはずのものが打ち消されてしまう。私たちは、自明の理とされていることを再考する必要がある。世界中のすべての母が、母であることを価値ある経験だと認識しているという大原則について、もう一度考え直すべきなのだ。
さらに、この2つを混同することは、現状維持につながる。なぜなら、複雑性とアンビバレンスという言葉を使うことによって、私たちはまたしても、後悔の核心から生じる重要な疑問に対処することに背を向けてしまっているからだ。
その疑問とは、母になることそのものである。女性が主体として行動できる余地には限りがあるが、その中で女性自身が、出産して子育てをしたいかどうかを自分で検討し、決定するのである。
後悔に焦点を合わせることは、後悔はしないが母であることに苦しんでいる女性を理解するためにも間違いなく役立つ。時折「母」という役割を人生の記録から消してしまいたいとぼんやり考えながら、そのような「禁じられた」願望を履歴から完全に削除するように求められている女性が存在するからだ。このように、後悔に焦点を合わせることは、社会的構成概念の影響に直面するすべての母に役立つのである。
テルアビブ大学で人類学と社会学の修士号、社会学の博士号を取得。2011年、親になる願望を持たないユダヤ系イスラエル人の男女を研究した初の著書『選択をする:イスラエルで子供がいないこと(Making a Choice: Being Childfree in Israel)』を発表。2冊目となる『母親になって後悔してる』は、2016年に刊行されるとヨーロッパを中心に大きな反響を巻き起こし、世界各国で翻訳された。学術研究に加えて、イスラエルのレイプ危機センターの理事会の議長を務め、12年以上にわたってセンターでボランティア活動を行っている。