一点、担任をしていたときに気になったのは、貧富の差がどうしても出てしまうことです。例えば、2、3日同じ服で登校してくる子。学校ジャージしか着てこられない子。それをコンプレックスに感じている子がいたとしても、担任としては助けてあげられないので、こちらも苦しい。
でも、最近気が付いたのですが、同じことは制服でも言えたのです。Yシャツを1枚しかもってないと毎日洗うので、他の子よりも先にボロボロになります。
【内田】制服でも、目で見て分かるレベルで劣化するのですか。
【長野】襟の黒ずみは家で洗っても落ちませんよね。スラックスも立ったり座ったりするとだんだんへたってきます。制服でも目に見えて変化します。どちらにしてもこの問題はあったのです。
両方のメリットデメリットを改めて子供たち視点で考える必要があるでしょう。私は、子供たちが自由に選べる、納得感をもって通える私服もOKという在り方がいいのではないかな、と思います。
貧富の差にどう対応するか
【内田】僕がもし制服を自由化するとしたときに、一番議論するべきところは、「貧富の差」が視覚化されるところにどう対応するか、だと懸念していました。明らかに貧富の差が顕在化するなら考えないわけにはいかない。でも、それは制服にしても課題なのですね。もちろん、貧富の差自体が問題なので、これはまた別の議論でもあるのですが。
もう一点聞きたいのは私服OKだと、めちゃくちゃ派手な人たちが登場し、オシャレなどの外見的な競争が激化するのではないか、これは結果的に先のTNTさんのお話のように、荒れにつながるのではないかとも懸念しているのです。「雑誌に載っていた服だ」「私も新しいの買わなきゃ」とかだんだんひどい状況になっていく。長野はどのような状況になっているのですか。
服で人を判断する価値観を子供とともに考える
【長野】今見える範囲では特にないです。突拍子もない派手な格好をしてくる子もまれにいますが、そのことで、「距離を置かれる」「人間関係が破綻する」などに一気につながることはあまりないです。服で人を判断する子供たちではないですね。逆に服で人を判断するという価値観こそ子供たちとともに考えるべき視点じゃないかと。