15歳、ワリエワ選手のドーピング疑惑

北京五輪のフィギュアスケート女子で、ライバルをあきらめさせるほどの実力を持つため「絶望」との異名を持つ、ROC(ロシア・オリンピック委員会)15歳のカミラ・ワリエワ選手が組織的ドーピングを疑われた話は、記憶に新しい。ロシアのフィギュア界が選手の若年化と強化を図るのは、日本選手の若年傾向に合わせた国策変更の末、との報道もあった。

競技によっては、子どもの細くて軽い体は勝つために有利とされる。そんな競技では、勝利至上主義を大人が放棄しない限り、若年層指導は過熱するばかりだ。「成長したくない」「女性らしい体になるのが怖い」と、思春期になって伸び悩み、潰れていく選手たちは少なくない。現に、ワリエワ選手が北京五輪後に勝てなくなったのを、ロシア国内では「思春期に入って体が変わり、軽やかに動けなくなったからだ」とする声が上がっているという。

そんな大人たちの声にさらされた少女は、自分の成長を喜べるだろうか。大人の女になってしまうことを憎み、成長を恐れて生きるのではないだろうか。そんな歪んだ「神童崇拝」のどこが、人間教育なのだろうか?

スポーツだけではない「神童崇拝」

文化的風土もあるのだろうが、日本ではスポーツも、受験も、芸能界も、独特の神童崇拝が通底しているような気がする。「まだ若いのにこんなことができる」という話はマスコミで猛烈に歓迎されるし、芸能界でも、海外の視線から見ると病的なロリータ指向ではないかと懸念されるような「未成熟さ」を売りにするタレントがもてはやされ、消費される。少子化による習い事ブームも、たとえばスポーツ、たとえばダンスや歌、たとえば受験勉強だって、始めるのが早ければ早いほど「すごい」と感じる風潮を加速している。

「(外形が)幼いのに、こんなことができる」ということを大人が喜び、早熟な子どもが褒められる。それが結果として、子どもにどんなメッセージを植え付けているのか、一度立ち止まって考えてみることが必要だ。「大人になるのは不利だ」「大人になりたくない」。子ども、特に若い女性が成長を拒否する心理の表れとして苦しむ病も、社会問題となっている。摂食障害である。彼女たちの多くの中に、親子間の関係性のこじれ、特に過干渉な母親の支配への憎悪が隠れていたのは、偶然の符合ではない。