「生贄」は便利な道具

【和田】従順な人間たちをまとめるのって、不安とか危機のある時期がやりやすい。戦争のときだってきっとそうでしょう。

【中野】まとめやすくなりますよね。

【和田】やっかいなのは、まとめやすくされてまとまっちゃった人間は、それが自分の意思だと勘違いしてしまうことです。そのうえ、従わない人を見ると腹が立ってくる。

【中野】マスクをつけない人や、音楽フェスティバルに行って楽しむ人など。自分が勝手に定めている基準なのに、それをもとにして「『みんな』のルールに従わない人」を異常に叩く。“生贄いけにえ”がいるとよりまとまりやすくなるので、ますますあおられちゃうんですよね。

【和田】便利な道具なんです、生贄ってね。

【中野】ただ、便利さに従っちゃう人のほうが生き延びるのも真理で、生存にはある面で有利かもしれません。

知能がある程度高いとされる人は、それを疑ってしまう傾向があるので、うまく隠さないと見つかって生贄にされてしまい、排除される対象になってしまいます。そのあたり、どう折り合いをつけていくかは、もっと別の知性が必要なのかもしれません。

「正しいか正しくないか」で考えるのは頭がよくない

【和田】究極的には「生きることを楽しむんだ」という決意かなあ。あるいは、「嫌われる勇気」のようなものかもしれませんが、そういうものは持ったほうがいいでしょう。

たとえば、仮にコロナにかかってもいいから、オレには楽しむ権利があるんだ、メシ食って何が悪いんだ、外国に旅行して何が悪いんだとか、そうしたことを優先させる生き方もあっていいと思うんです。

【中野】これも一元化することなく、「そういう人もいる」ということですよね。

【和田】「あっていい」と言ったのは、「その生き方が正しい」ということではないんです。

たとえば健康診断をしたところ、「血圧が高い」ことがわかったとします。すると、「血圧の薬を飲みなさい」「塩分とお酒も控えなさい」と医者に言われて、従順に守る人が日本の場合は8割か9割いると思います。

そうしたときに、「じゃあ一生、お酒を飲めなくていいの?」「一生、味のしないようなメシ食って、あなた幸せなの?」「血圧って、高いときのほうが頭が冴えていて、薬で正常まで下げちゃうとフラフラすることが多いけれど、一生フラフラしていていいの?」なんて。思考停止せず、そういう“問いかけ”をすることは大事だと思います。

そこで、「多少寿命が縮まってもいいから、オレ、やっぱりこっちを取るわ」とするのもひとつの選択です。