アルコール依存症と診断される
介護の仕事は充実感がある半面、利用者から理不尽なことを言われて気に触ることもあった。
さらに、当時は介護の仕事だけでは食べていけず、複数の仕事を掛け持ちするなかでストレスもたまり、酒量が増え、仕事のない日は昼から酒を飲むようになった。アルコールが切れると離脱症状で手が震えだす。35歳の頃だ。
「あるとき離脱症状のパニック発作を起こし、病院でまぎれもなくアルコール依存症だと診断されました」
高浜さんは仕事を辞め、生活保護を受けながらリハビリプログラムに専念する。飲酒はすぐにやめられた。ただ、ケースワーカーから「早く就労自立しようと焦らないように」と忠告され、38歳までリハビリはつづいた。
リハビリが終わりかけた頃、アルバイトをはじめた。また障害者の介護にのめり込むとストレスが大きいと考えて、東京・中野区にある高齢者のグループホームで働きはじめた。
1年ほどたった頃、ホームの関係者がデイサービスの新会社を構想し、高浜さんは「一緒に働かないか」と誘われた。2012年に高浜さんたちは3人で新会社を創業し、高齢者向けのデイサービスをスタートした。
方針の違いを感じることが多くなり…
翌13年、障害者福祉のパイオニア的存在だった新田勲さんが他界した。
「追悼の気持ちから、新会社で重度訪問介護の事業を立ち上げました。当初のスタッフ数は50人ほどです。事業責任者になって気づいたのは、筋萎縮性側索硬化症(ALS)の方々は支援が足りないことでした。これが全国展開のきっかけになりました」
高浜さんたちは、重度訪問介護が不足している地域にサービスを拡大し、サービス開始から5年後に43都道府県をカバーした。
「関東圏、関西圏を除くと、ほとんどの地域に同業者はありません。それだけ障害者支援が不足していたということです。私たちの事業所ができたことで、障害者や家族の方たちから『本当に助かった』という声をいただきました」
重度訪問介護は、全国各地で必要とされていた。社会問題を解決するソーシャルビジネスの意義を改めて感じた。高浜さんは全国を飛びまわる生活だった。
しかし、介護職の待遇改善や環境整備を進めるとともに、必要とされる限りサービスを全国で展開したいという思いを強く持つ高浜社長は、経営陣と方針の違いを感じることが多くなった。話し合いの結果、最終的には別々の道を歩むことになり、一部メンバーとともに新会社を立ち上げることになった。