立派だが実現できていない公約
たしかに、アーダーンとカークの政治スタイルは似ている。アーダーン批判でよくきかれるのが、アーダーンの公約は立派だが、政府のアクションがそれを実現できていない、というものだ。「夢見心地になるだけで、実体がなにもない」選挙の討論会で、イングリッシュがいった言葉だ。
アーダーンのしていることが“美徳シグナリング(「いい人」アピール)”だといわれたこともある。いまは侮辱的言葉とされる言葉だが、1973年にツイッターがあったとしたら、カークの言動は“美徳シグナリング”だと何度いわれたかわからない。
アーダーンの政府が社会を改善したことは否定できない。
産休の延長、生活困窮者のための燃料手当て、低所得者層の子どもたちへの無償給食、沖合での油田・ガス田開発の中止、使い捨てのビニール袋の使用禁止、新生児のいる家庭への毎週の給付金、海外からの投資目的の住宅購入の禁止、ニュージーランドの歴史の必修科目化、囚人の選挙権(刑期三年未満の囚人に限る)、といった政策を実現した。
抜本的な改革ではなくて改善
進歩的な政府がおこなった、前向きなアクションばかりだ。ただ、抜本的な改革とはいえない。アーダーンの選挙公約は抜本的な改革だったはずだ。幸福の予算も、変革ではなく改善だ。正しい方向に舵を切るだけであって、みんなの手をつかんで一足飛びにどこかへ移動するというわけではない。
野党議員だったとき、アーダーンは頭の切れる未来のリーダーという立ち位置だったが、政治手法は――心情的なものは別として、言動は――いつも保守的だった。
口から出てくるのは希望に満ちていて、楽観的で、人を感動させるような言葉なのに、実際にやることはどちらかといえば現実的。首相になってからは、政権与党のリーダーとして国民の理想の人物でいつづけるのがいかに難しいかを学んだようだ。
とはいえ、口だけの政治家というわけではない。首相就任後の2年間で、前々から計画していたことも、そうでなかったことも含めて、さまざまなことを実現させた。
労働党が打ちだした幸福予算は世界ではじめてのものだったし、今後、ニュージーランドでも、他国でも、よりよいものになっていくだろう。そのほかに、ニュージーランドはゼロカーボン法案を採択し、気候変動への対応目標を法律で定めた。そして大量殺戮を可能にする銃器の所持を禁止した。