コロナ対策、テロ対策、気候変動対策……と、あらゆる社会課題で思い切った改革を打ち出して、世界の注目を集めるニュージーランドのジャシンダ・アーダーン首相。2017年、ニュージーランド史上最年少の37歳で首相に就任。「ベビーブーマー世代」の政治家たちから「ミレニアル世代」へ、国の運営を明けわたす流れを加速させたその手腕とは――。

※本稿は、マデリン・チャップマン『ニュージーランド アーダーン首相 世界を動かす共感力』(集英社インターナショナル)の一部を再編集したものです。

2018年4月、エリザベス女王との晩餐会に招かれてバッキンガム宮殿に到着したアーダーン首相とパートナーのクラーク・ゲイフォード氏。
写真=AAP
2018年4月、エリザベス女王との晩餐会に招かれてバッキンガム宮殿に到着したアーダーン首相とパートナーのクラーク・ゲイフォード氏。

首相よりも大臣がやりたかった

最近、政治解説者たちが議論していたことがある。アーダーンの天職は政治家なのか、それとも民間企業や、チャリティの分野での仕事なのか、という話だ。そして多くの人がこういった。アーダーンはきっとニュージーランドの政界を引退したあとは国連で働くだろう。

国連のような場でこそ、アーダーンは自分のスキルを存分に発揮することができる。国民の批判の目にさらされることもないし、一国を率いる――しかも連立政権という状況で――という重圧もない。

アーダーン本人は、首相よりも一省庁の大臣でありたいといった。そのほうが批判の目や人間関係のしがらみも少ないから、というのが理由だ。とはいえ、あのような不安定な連立政権の運営をほかのだれがやったとしても、アーダーンの半分もうまくできなかっただろう。

アーダーンの手本となった元首相

やりたくない仕事を任されたものの、能力を発揮している――そんなふうにみることもできるが、そうではなく、単に首相になるタイミングが早かったということかもしれない。

1972年、労働党のノーマン・カークが29代ニュージーランド首相になった。カークは弁舌に長けた政治家で、社会問題や海外政策についての考えを情熱をこめて話したものだ。1973年にアパルトヘイト政策をとっていた南アフリカのラグビーチームのニュージーランド訪問を拒否したことと、ベトナムからニュージーランド軍を撤退させたことで知られる政治家でもある。しかしその一方で、人間関係の考えかたがあまりに保守的であると、若い党員たちから批判されていた。

LGBTQ IA+コミュニティや女性やマオリの権利をもっと認めるべきだ、と働きかけられたが、カークは応じなかった。それどころか、南太平洋の島から移民してきた人々の家を早朝に訪問しては不法長期滞在者を摘発するという、“ドーン・レイズ(夜明けの奇襲)”として知られるやりかたでマイノリティを抑圧した。

しかし、スピーチや日頃のちょっとした言動などを通して、カークはニュージーランドがその後変化していくための準備をしてくれたともいえる。1974年にはじめて国の休日になったワイタンギ・デーの記念式典で、カークは、ニュージーランドは二文化が共存する国であることをだれもが認めるべきだと語り、新聞の一面にはカークとマオリの少年が手に手をとって歩く写真が掲載された。

象徴的な写真やスピーチはたしかに重要だったが、実際に政府がとったアクションは、それに見合わない小さなものだった。1980年代中頃、カークの死後10年たってようやく、カーク政権の若いメンバーだった政治家たちが第一線に立つようになり、大きな変化をもたらすことができた。

アーダーンはよくカークのことを、自分にとってお手本の政治家のひとりだといっている。

立派だが実現できていない公約

たしかに、アーダーンとカークの政治スタイルは似ている。アーダーン批判でよくきかれるのが、アーダーンの公約は立派だが、政府のアクションがそれを実現できていない、というものだ。「夢見心地になるだけで、実体がなにもない」選挙の討論会で、イングリッシュがいった言葉だ。

アーダーンのしていることが“美徳シグナリング(「いい人」アピール)”だといわれたこともある。いまは侮辱的言葉とされる言葉だが、1973年にツイッターがあったとしたら、カークの言動は“美徳シグナリング”だと何度いわれたかわからない。

アーダーンの政府が社会を改善したことは否定できない。

産休の延長、生活困窮者のための燃料手当て、低所得者層の子どもたちへの無償給食、沖合での油田・ガス田開発の中止、使い捨てのビニール袋の使用禁止、新生児のいる家庭への毎週の給付金、海外からの投資目的の住宅購入の禁止、ニュージーランドの歴史の必修科目化、囚人の選挙権(刑期三年未満の囚人に限る)、といった政策を実現した。

抜本的な改革ではなくて改善

進歩的な政府がおこなった、前向きなアクションばかりだ。ただ、抜本的な改革とはいえない。アーダーンの選挙公約は抜本的な改革だったはずだ。幸福の予算も、変革ではなく改善だ。正しい方向に舵を切るだけであって、みんなの手をつかんで一足飛びにどこかへ移動するというわけではない。

野党議員だったとき、アーダーンは頭の切れる未来のリーダーという立ち位置だったが、政治手法は――心情的なものは別として、言動は――いつも保守的だった。

口から出てくるのは希望に満ちていて、楽観的で、人を感動させるような言葉なのに、実際にやることはどちらかといえば現実的。首相になってからは、政権与党のリーダーとして国民の理想の人物でいつづけるのがいかに難しいかを学んだようだ。

とはいえ、口だけの政治家というわけではない。首相就任後の2年間で、前々から計画していたことも、そうでなかったことも含めて、さまざまなことを実現させた。

労働党が打ちだした幸福予算は世界ではじめてのものだったし、今後、ニュージーランドでも、他国でも、よりよいものになっていくだろう。そのほかに、ニュージーランドはゼロカーボン法案を採択し、気候変動への対応目標を法律で定めた。そして大量殺戮を可能にする銃器の所持を禁止した。

2021年6月、1回目のコロナワクチンを接種する。
写真=時事通信フォト
2021年6月、1回目のコロナワクチンを接種する。

ニュージーランドに女性議員が急増

アーダーンはやがて、気候変動に懐疑的な野党議員たちが政界を去るのを見送ることができるかもしれない。現在50代後半で、かつては我こそがジョン・キーの後継者だと思っていたような議員たちだ。

現実には、まだ40代前半の女性がトップに立っている。アーダーンの存在は、ベビーブーマー世代からミレニアル世代へと、国の運営を明けわたす流れを加速させたといえよう。これから7年たてば、現在の若い議員――とくにクロエ・スウォーブリック(1994年生まれ)のような緑の党の議員たち――も、中堅どころになるだろう。

アーダーンの言葉に影響されて政界をめざした若い女性たちも、経験を積んでいるだろう。各地方自治体の議会では、2019年に選ばれた女性議員の数が前年よりぐっと増えた(それでもまだじゅうぶんではないが)。彼女たちが自治体運営の中心的立場になれば、これまでに見聞きした変革を、彼女たち自身の手で実現するかもしれない。

アーダーンは、こうした若い人たちに刺激を与えてきたのだ。生まれたときからずっと、議論の余地もなく、気候変動が世界の脅威だと考えて育ってきた人たち。いまはまだ政府が言葉にしているだけだが、言葉ではなく行動に移すことが、まずはなにより大切な一歩だ。全世界をみても、具体的な行動をとっている国はまだほとんどない。

選挙で選ばれたニュージーランド最初の女性首相ヘレン・クラークは、アーダーンのよき相談相手であり、理解者でもあった。
写真=Staff/Dominion Post
選挙で選ばれたニュージーランド最初の女性首相ヘレン・クラークは、アーダーンのよき相談相手であり、理解者でもあった。

民主主義と平等を世界に広めたい

2008年に国会議員になってから、アーダーンは、民主主義と平等を社会に広めたい、若者の幸福に関する決定に若者自身が関与するようになってほしい、と話してきた。その結果、変化がまだまだ足りない、もっと抜本的な変化が起こってほしい、と考える若者たちの批判の目にさらされるようになった。

アーダーンがこれまでになしとげた改革は、アーダーンの個人的な、そして直感的な判断によるものが多い。世界の大国の多くでは、男性政治家が権力の座については、短期間でその座を追われている状況だ。

そして世界は、ジェンダーや宗教などのアイデンティティ問題に関して、大きな曲がり角にさしかかろうとしている。車のハンドルを握るのはアーダーンだ。うまく曲がりきれなければ、車は奈落の底に落ちてしまう。

しかしニュージーランドはこれまでも、そういうときのハンドルさばきがうまかった。とくに、女性政治家の台頭については世界の先を行っている。首相が在任中に出産をしたことさえ、とくに大きな騒ぎにもならず受け入れられた。海外では――女性が基本的人権さえ満足に与えられないような国ではとくに――そのようなことがあれば歴史的大事件としてとらえられるだろう。

現在のニュージーランドでは、国会の本会議場に赤ちゃんがいることも珍しくない。ただ、アーダーンとゲイフォードが国連総会にニーヴを連れていったことで、世界各国で女性リーダーの扱いかたは大きく変わってきたようだ。

クライストチャーチのテロのあとは、頭にヒジャブをかぶることで、ニュージーランドと世界をひとつにできた。トップに立つ人間がほんの小さな思いやりを持つだけで、これほどの変化を作りだすことができるということを、世界に示すことができた。

歴史に名を刻んだ二つの出来事

政治とはまったく関係のない行為による効果だと考えると、驚くべきことだ。2019年の8月、テロの半年後にイスラム女性評議会でスピーチをしたとき、アーダーンはムスリムコミュニティのメンバーであるかのように大歓迎を受けた。事件直後のアーダーンの言葉とハグと存在そのものが、人々の記憶にはっきり残っていたのだ。

ニュージーランド国民は、自分たちの国でテロが起こるはずがないと信じていた。なのに、あのような事件が起こった。事件直後、国全体が軸を失ってふらついているかのようだったが、アーダーンがそれをしっかり支えた。

そして同じ年の12月、ホワイト島での火山噴火により22人の犠牲者が出たとき、アーダーンは同じように国を支えた。ほかのことはさておき、このふたつの出来事への対応によって、アーダーンは歴史に名を刻んだ。世界的な混乱と紛争の時代にアーダーンがしたことを、世界は決して忘れないだろう。

2018年9月、ニューヨークの国連本部で隠し撮りされた家族三人のありのままの姿。
写真=Don Emmert/Getty
2018年9月、ニューヨークの国連本部で隠し撮りされた家族三人のありのままの姿。

子どもを連れて国連総会に出席し、スピーチした最初のリーダー

しかし、どんなことでも、もっといい結果が得られた可能性はあるものだ。もしもアーダーン率いる労働党が、ピーターズ率いるニュージーランド・ファースト党との連立なしに政権をとっていたら、ニュージーランドはよりよい進歩をとげたのではないか。そう考えずにいられない人もいるだろうし、それを否定する人もいるだろう。

マデリン・チャップマン『ニュージーランド アーダーン首相 世界を動かす共感力』(集英社インターナショナル)
マデリン・チャップマン『ニュージーランド アーダーン首相 世界を動かす共感力』(集英社インターナショナル)

ニュージーランド・ファースト党との連立のおかげで、労働党は保守的な政策をとる口実ができたのではないか、と否定派はいうだろうし、肯定派は、労働党だけの単独与党なら国はもっとよくなっていたというだろう。アーダーンは、連立という制限がある中でさえこんなにうまくやってきたのだから、と。

世界にはいろいろなタイプのリーダーがいる。悪の権化として歴史に残るリーダーもいれば、際立ってよいことをひとつかふたつしたことで人々に記憶されるリーダーもいる。しかしほとんどのリーダーは完全に忘れられてしまう。

この先どういう展開になろうと、ジャシンダ・アーダーンが、在任中に出産した世界で二番目のリーダーであり、産休をとった最初のリーダーであり、子どもを連れて国連総会に出席し、スピーチした最初のリーダーである事実は変わらない。そして、クライストチャーチのテロ事件のあとに人間的で共感力に満ちた対応をしたことを、人々は決して忘れないだろう。

しかしアーダーンは、働く母親として、“優しい”リーダーとして、自らのレガシーを作りたいと思っているし、それを実現するつもりだ。

これからのアーダーンを全世界が見守っている。