戦後、最も重い決断を迫られた総理

1月19日、菅直人はツイッターで

【「維新」と戦う立憲有志の会の準備をしている。「身を切る改革」をスローガンに支持を伸ばした維新。しかし大坂都構想が「身を切る改革」とは思えない。かつて東京都の23区の区長は任命制であった。それを公選制にして23区が行政区から自治体になった。大阪都構想はその逆をやろうとした失敗した。】(原文ママ)

と書いた。いわゆる「ヒトラー投稿」はこの2日後だ。

菅直人はいわゆる「団塊の世代」「全共闘世代」である。自身はセクトには入らなかったが、学生運動はしていたので、セクトとは対峙たいじした。万一、襲撃された時に備え、かまぼこの板とマンガ雑誌で作った防護服を服の下に着て大学へ通っていた。実際、ゲバ棒を持つセクトに取り囲まれたこともあった。
けがや、場合によっては死が、リアルに身近にあったのだ。

さらに3.11では、首都圏を含めた東日本が放射能に汚染される事態を想定し、決断を迫られている。

口では「国のために命をかける覚悟」などと勇ましいことを言う政治家がいるが、戦後、自衛隊や警察・消防をはじめとする公務員に対し、命の危険があると分かっていて現地へ行くよう指示したのは、菅直人だけだ。自衛隊の海外派遣は、建前上は安全な所にいくことになっているが、菅直人は暴走している原発へ行けと指示せざるをえない事態に向き合い、最も重い決断をした。

しかし、それを自慢することはない。

維新とは「討論」にならない

27日の「闘うリベラル宣言」の翌日、菅直人に会う機会があったが、「宣戦布告をしたからな」と意気軒昂であった。

維新とは、「公開討論」をしても「討論」にならないと判断している。質問してもはぐらかし、切り返し、まともな議論にならないと踏んでいる。

実際、菅直人が維新の政策にある100兆円規模のベーシックインカムについて財政的に実現可能なのか問うと、音喜多駿議員は説明せず、「公開討論会をやりましょう」と言うだけだ。菅直人はそれに応じる気はない。

いまのところ、維新に対する研究をして、そこでの疑問をツイッターに書き、可視化していく戦術をとるようだ。

また今回の騒動で、菅直人の維新に対する姿勢に賛同している議員も出ているので、連携をとっていくだろう。

2月1日に維新の会共同代表の馬場伸幸が抗議文を持ってやって来ると、同日15時04分、菅直人はこう報告する。

【維新の馬場代表が昼過ぎ、マスコミを連れて私の部屋を訪問。私は馬場氏に橋下氏と維新の関係を尋ねた。馬場氏は橋下氏は維新の創業者だが現在は全く無関係と答えた。その上で橋下氏の発言への私のツイッターに対し抗議。しかし、党と無関係な橋下氏の件で、維新の代表が抗議するのは理解できない。】

敵を知らなければ闘えない。

まだ研究不足・認識不足なのは否定できず、1月19日のツイートでは、大阪都構想についても細かい点では間違った内容を書き、大阪市長と大阪府知事を間違えたこともあった。

馬場共同代表からも「大阪のことを勉強してくれ」と指摘され、「いま一生懸命勉強してます」と答えていたように、本を読んだり詳しい人から聞いたりして、勉強し、その過程もツイッターに書いている。

「俺は何でも知っている」と威張らないのも、いかにも菅直人らしい。

ツイッターでは揶揄するコメントもあるが、元総理でありながらまったく偉ぶらないのが、菅直人なのだ。

馬場代表が帰った後、維新について詳しい、れいわ新選組の大石あきこ議員と会い、情報交換をしている。

大石は同日19時59分にツイッターに

【マスコミ連れてアポ無し凸撃とか、ヤバいですね馬場議員。菅直人議員は毅然と対応されたようですが。強アルカリ浴びたあと強酸で中和したかったのか、なんと先ほど菅直人さん、大石あきこを同じ場所に招いてくれました】

と書いている。

闘いは始まったばかりだ。

中川 右介(なかがわ・ゆうすけ)
作家

1960年東京都生まれ。早稲田大学第二文学部卒業。出版社勤務の後、アルファベータを設立し、2014年まで代表取締役編集長として雑誌『クラシックジャーナル』ほか、音楽家や文学者の評伝や写真集の編集・出版を手掛ける。クラシック音楽はもとより、歌舞伎、映画、歌謡曲、マンガなどにも精通。膨大な資料から埋もれていた史実を掘り起こし、歴史に新しい光を当てる執筆スタイルで人気を博している。