「こども家庭庁」の2つの問題点

さて、こども家庭庁という名称が大人ファーストではないかという違和感がぬぐいきれないのは、2つの理由によります。

第1に、こども家庭庁ではこどもと家庭との関係をどのようにとらえるかが、きわめて難しくなってしまうという行政組織機構の名称としての妥当性です。

こども+家庭=こども家庭庁の所管、としてしまうと、こどものいない家庭もターゲットとなってしまうのだろうか、という素朴な疑念を持つ国民もいることでしょう。

また子どもに恵まれなかったカップルにとっても、こども家庭庁の名称は違和感があるものと受け取られてしまう懸念も禁じえません。

日本国憲法に規定する基本的人権が、もっとも実現されてこなかったこどもたちにこそ、法・政策と財源を通じて、最善の利益と幸せ(ウェルビーイング)の実現をという、「こども庁」という名称に込められた思いが薄まってしまってもいます。

第2の問題点は、いまさら自民党が子育て世帯(家庭)を大事にするといっても、これまでの子育て罰しかない自民党、とくに右派が主導する「こども家庭庁」の組織名称に良い印象を持たない国民も多いのではないかという懸念です。

こども+こどものある家庭=こども家庭庁の所管、とすることが政府基本方針には明記されています。

しかし公明党や立憲民主党のように子育て支援政策を熱心に推進してきた政党が主張するならばともかく、自民党右派の主張となると家庭教育支援法案の経緯(※3)を思い出し不安になってしまう方も多いのではないでしょうか?

「子育ては親の責任」がはらむ危険性

家庭教育は重要であり、子育ては親の責任であるという主張はある意味当たり前のことなのですが、注意深く展開しなければ、子育て自己責任論につながり、親子を孤立させ、ますます子育てしづらい日本国になってしまいます。

また専門職ではない地域住民に介入とも受け取られる家庭支援をさせようとし、福祉分野からも教育分野からも多くの批判を浴びた実績のある自民党右派の主張する「こども家庭庁」が実現されようとしているのではという懸念を持つ関係者・保護者も少なくありません。

もちろん孤立しがちな親や、困難を抱える家族に対し、行政が関与する支援が必要なことは言うまでもありません。その点で、自民党右派と称される国会議員も私も思いを同じくしているのです。

しかしそのためにはまず、親が安心して子育てに専念できるような条件を政治が整えていくことが重要です。

子どもを育てる親への労働環境整備や経済的支援の充実、子育てに十分に時間を取りたくても許してくれずハラスメントをしてしまう企業への罰則など、実効力ある対策が重要です。

※3 木村涼子,2017,『家庭教育は誰のもの? 家庭教育支援法はなぜ問題か』(岩波ブックレット)