政府は12月21日、「こども家庭庁」に関する基本方針を閣議決定した。菅政権ではじまった「こども庁」の議論だったが、急に名称変更がなされた。日本大学教授の末冨芳さんは「与党の『大人ファースト』の議論で急転直下、こども家庭庁という名称にされてしまうことには、これまでの政治プロセスを観察してきた私から見ても違和感を禁じえません」という――。
閣議に臨む岸田文雄首相(中央)ら=2021年12月17日、首相官邸
写真=時事通信フォト
閣議に臨む岸田文雄首相(中央)ら=2021年12月17日、首相官邸

“子育て罰政党”の中にも本気の議員はいる

菅政権ではじまったこども庁の議論ですが、岸田政権での閣議決定でこども家庭庁に名称を変更、政策も子ども重視ではなくなってしまうことが懸念されています。

私はこれまで、自民党を子育て罰政党として、警戒し批判もしてきました。

今年9月の総裁選でも野田聖子氏が出馬しなければ、こども庁・こども政策に関する議論がこれほどの盛り上がりを見せることはなかったでしょう。

詳しくは「脱・子育て罰『子どもと現役世代に冷たすぎる日本』を変えられる総裁は誰か」に書きました。

子育て罰とは、政治・企業そして社会のすべてが子どもと親に冷たく厳しい制度・考え方を押し付けるいまの日本の問題を明確にし、改善していくための概念です(※1)

しかし自民党においても、子育て罰の政治ではなく、親子にやさしくあたたかいこどもまんなかの政治へと健闘してきた国会議員たちがいます(※2)

こどもを大切にするこどもまんなかの自民党政治への転換は、山田太郎議員・自見英子議員が主催する「Children Firstの子ども行政のあり方勉強会」を起点に菅政権で大きな流れとなり、自民党では「こども・若者」輝く未来創造会議(加藤勝信座長)で、こども庁実現に向けて衆議院選挙後に急ピッチで検討が行われてきました。

こども庁が「画期的」である理由

同じ時期に内閣府に設置された、こども政策の推進に関する有識者会議でも、子ども・若者の支援の最前線で活動する支援団体代表や、わが国の子ども・若者政策の立案に関わってきた研究者たちの真剣な議論が行われてきました。

とくにこども政策の推進に関わる有識者会議の議論の結果、構想された「こども庁」は、以下の3点で画期的といえます。

◆こども庁3要件=財源・人員・こども基本法を明記
◆こども・子育て当事者のウェルビーイング(幸せ)・参画・視点を重視
◆「ゼロを1にする」数々の目玉政策
(性犯罪者から子どもを守る日本版DBSの仕組み、日本版CDR、ヤングケアラー対策、性暴力や望まない妊娠を防ぐための支援など「子ども・若者を守る」仕組み、子ども・若者や子育て当事者の参画により法・政策を立案していく仕組み)

詳しくは、こちらで解説しています。

※1 末冨芳・桜井啓太,2021,『子育て罰 「親子に冷たい日本」を変えるには』光文社新書
※2 #こども庁「子どもの命を守る」「子どものための予算をとる」ために必要 #山田太郎議員に聞きました

「大人ファースト」の議論で名称変更

閣議決定された岸田政権の「こども政策の新たな推進体制に関する基本方針」においても、こうした提言をどこまで反映し実現していけるかがポイントとなります。

また「こども庁」という名称が、家庭において虐待されたり、そもそも家庭で育っていない当事者たちの思いを尊重した経緯を鑑みると、当事者の意見を聞くこともなく、与党の「大人ファースト」の議論で急転直下、こども家庭庁という名称にされてしまうことには、これまでの政治プロセスを観察してきた私から見ても違和感を禁じえません。

日本の子供
写真=iStock.com/TkKurikawa
※写真はイメージです

「こども家庭庁」は、家庭教育の重要性を主張する自民党右派議員の強固な主張によって、名称変更されたという経緯があります。

従来、公明党は「子ども家庭庁」を主張しています。一方で立憲民主党は、2021年5月31日に国会に提出した子ども総合基本法案で「子ども省」に変更しており、以後、子ども省で統一していますので、組織名称については国会論戦の対象ともなりうるのではないでしょうか。

※編集部註:初出時、立憲民主党は「子ども家庭省」を主張しているとありましたが、訂正しました(2021年12月23日18:45)。

家庭環境は年々衰えてきている

政策の信頼性・効率性を高めるために子ども・若者の参画の重要性を主張し、関係省庁で実現してきた教育政策の専門家としては、もう少し慎重な手続きがあって良いと考えます。

具体的には家庭で虐待被害にあってきた当事者や、子ども・若者、子育て当事者の意見も聞き、こども家庭庁という名称でほんとうに大丈夫か考えを深める機会を今後作ることが必要ではないかと考えます。

閣議決定された基本方針でも「こどもの視点、子育て当事者の視点」にたった政策立案の方針が示されています。

もちろん多くの子ども・若者にとっては、家庭が安心できる場ではありますが、その家庭が子どもを愛し守り育てる環境も、低賃金化・非正規化、そして日本社会の子ども・若者への冷たい態度の中で、年々衰えているというのが、大学教員であり子ども・若者支援にも関わる私自身の実感です。

「こども家庭庁」の2つの問題点

さて、こども家庭庁という名称が大人ファーストではないかという違和感がぬぐいきれないのは、2つの理由によります。

第1に、こども家庭庁ではこどもと家庭との関係をどのようにとらえるかが、きわめて難しくなってしまうという行政組織機構の名称としての妥当性です。

こども+家庭=こども家庭庁の所管、としてしまうと、こどものいない家庭もターゲットとなってしまうのだろうか、という素朴な疑念を持つ国民もいることでしょう。

また子どもに恵まれなかったカップルにとっても、こども家庭庁の名称は違和感があるものと受け取られてしまう懸念も禁じえません。

日本国憲法に規定する基本的人権が、もっとも実現されてこなかったこどもたちにこそ、法・政策と財源を通じて、最善の利益と幸せ(ウェルビーイング)の実現をという、「こども庁」という名称に込められた思いが薄まってしまってもいます。

第2の問題点は、いまさら自民党が子育て世帯(家庭)を大事にするといっても、これまでの子育て罰しかない自民党、とくに右派が主導する「こども家庭庁」の組織名称に良い印象を持たない国民も多いのではないかという懸念です。

こども+こどものある家庭=こども家庭庁の所管、とすることが政府基本方針には明記されています。

しかし公明党や立憲民主党のように子育て支援政策を熱心に推進してきた政党が主張するならばともかく、自民党右派の主張となると家庭教育支援法案の経緯(※3)を思い出し不安になってしまう方も多いのではないでしょうか?

「子育ては親の責任」がはらむ危険性

家庭教育は重要であり、子育ては親の責任であるという主張はある意味当たり前のことなのですが、注意深く展開しなければ、子育て自己責任論につながり、親子を孤立させ、ますます子育てしづらい日本国になってしまいます。

また専門職ではない地域住民に介入とも受け取られる家庭支援をさせようとし、福祉分野からも教育分野からも多くの批判を浴びた実績のある自民党右派の主張する「こども家庭庁」が実現されようとしているのではという懸念を持つ関係者・保護者も少なくありません。

もちろん孤立しがちな親や、困難を抱える家族に対し、行政が関与する支援が必要なことは言うまでもありません。その点で、自民党右派と称される国会議員も私も思いを同じくしているのです。

しかしそのためにはまず、親が安心して子育てに専念できるような条件を政治が整えていくことが重要です。

子どもを育てる親への労働環境整備や経済的支援の充実、子育てに十分に時間を取りたくても許してくれずハラスメントをしてしまう企業への罰則など、実効力ある対策が重要です。

※3 木村涼子,2017,『家庭教育は誰のもの? 家庭教育支援法はなぜ問題か』(岩波ブックレット)

子育て世帯の約2割は衣服や食料を買えない経験をしている

教育政策・子どもの貧困対策の専門家としていうならば、低中所得世帯を中心とし「すべての子ども」を対象とする現金給付の拡充、0~2歳の保育サービスの拡充と高等教育の無償化の所得制限緩和など現物給付が十分に充実すれば、日本の親たちは安心して子育てに専念することができるでしょう。

内閣府の子供の貧困指標があきらかにしているとおり、日本の子育て世帯の約2割は衣服や食料が買えない経験のある人々なのです。

とくに厳しい世帯は子どもたちに十分な食事をさせたくても低賃金で、児童手当をはじめとする政府の支援も不十分である、それが日本の実態です。

稼ぐほどに支援が打ち切られる中・高所得層の苦悩

中所得層や高所得層は納税し、年金も払い子どもも育てて国家に貢献しているのに稼ぐほど支援が打ち切られ、苦しんでいる。

そんな親世代を見ていればこそ若い世代は結婚にも子どもを持つことにも不安を感じてしまう、日本はいまそんな子育て罰の国になり果てているのです。

財源も公的支援も不十分なまま「親の責任」だけを強調するような、こども家庭庁ならば、子どもも親も幸せになれるのでしょうか。

岸田政権のもとで、「こども家庭庁」の組織名称のまま、こども政策がすすめられるならば、岸田総裁、野田聖子担当大臣はこのような懸念に対し十分な説明責任を遂行することが求められるでしょう。

またこども庁3要件(財源・人員と子どもの権利保障のための法制)にしっかり取り組むことを発信していく必要があるでしょう。

いま必要なのは超少子化・子育て罰大国のイノベーション

こども庁かこども家庭庁かという名称の問題もさることながら、親にも子どもにもやさしくあたたかいこども政策、子育て支援政策の実現が急がれます。

子育ても介護も同時に経験してきた私自身が、自分の大変な経験を顧みて真剣に思うのは、高齢者の介護政策のような仕組みがあれば、子育ても孤立せず、もっと子どもたちにやさしく関われたのに、ということです。

介護保険制度は国民が広く薄く負担する社会保険により、介護が必要な高齢者に必要な支援を保障していく仕組みです。

私自身がかかわっていてありがたかったのは、選択可能なサービスの幅広さとともに、ケアマネージャーの存在です。

要介護者(高齢者)のニーズを把握し、家族の実態も聞き、生活実態や所得・年金額に応じて利用可能なサービスや公的支援制度を調整くださる重要な役割を果たしておられます。

乳幼児期は母子ともに「要介護状態」

子育て経験者ならお分かりでしょうが、とくに乳幼児期には母も子も高齢者と同じように「要介護状態」になります。

産後も続く痛みやめまぐるしく変わる体調のもとで、夜泣きする子どもの世話をしながら助けてくれる人もなく家事をする、その中で、子どもを虐待したり死を考える親がいることもよくわかります。

また子どもが成長する中で、虐待をしてしまったが本当はしたくない、子どもに言うことをきいてもらえないなど、周囲の人には相談しづらいことも出てくる場合もあるでしょう。

そのような場合に、子どもが乳幼児期から寄り添ってくれた地域のケアマネージャーさんのような専門職が地域で相談に乗り、時には必要な支援につなげる仕組みがあれば、子どもの貧困や虐待もその多くが改善できると思います。

スクールソーシャルワーカーや、乳幼児ソーシャルワーカーといった専門職が、自治体や園・学校に配置され、親子の実態や成長に寄り添いながら伴走型支援をしていく、ケアマネージャーが実現できる日本では決して難しいことではないはずです。

「高齢者にやさしい日本」を実現した方法をこども政策に活かすべし

子育ては親の責任でもありますが、子どもも親も(ときには子育てを助ける祖父母も)、「要介護・要支援」の状態になったときに、誰もが相談し利用できる公的支援制度の充実は、子どもを産み育てやすい令和の日本の基盤になっていくと考えます。

超少子化の日本でこそ、こども政策、子育て支援政策の拡充は急務です。

国民なくして国家なし、国防・経済成長や労働を支えるためにこども政策が重要であることは、真に国家を大切に思われる自民党右派の国会議員のみなさまこそ深くご理解いただき、財源の確保にもご尽力いただけるはずでしょう。

財源は、介護保険と同様に広く社会で支える仕組みも検討されるべきですが、親の就労も子どもの成長も支える仕組みであることから、企業負担や所得・資産課税など幅広く求められるべきです。

この点で言えば、自公連立政権には高齢者にやさしくあたたかいシルバー政策を充実させてきた十分な実績があります。

介護保険や介護福祉士、ケアマネージャーの仕組みを作り上げ、介護を支える労働者も国籍・性別に関わらず資格保有すれば正規就労につながり、家族のいない高齢者も介護や支援につながることができる。

もちろん介護労働者の待遇改善は重要ですが、このような仕組みが介護政策で実現できるならば、こども政策や子育て支援においても実現できるのではないでしょうか。

このように高齢者にやさしい日本を実現してきた連立与党の実績を生かすことができれば、親子にやさしい日本の実現はいますぐ可能であるはずです。 

野党だって大同団結して実現を応援することでしょう。

年明け通常国会では、本気の政策論争を

大人ファーストで急転した「こども家庭庁」の機関名称ですが、年明け通常国家ではこどもまんなかでの機関名称のあり方を検討されてはどうでしょうか?

国会に、虐待や貧困の当事者、支援団体代表などを参考人で招致しながらの与野党の対話も重要になるでしょう。

また、こども庁3要件=財源・人件費・こども基本法に関する与野党本気の政策論争は急務です。

岸田総理自身が総裁選で重要性を強調された教育や住宅の支援、衆議院選挙で各政党が公約を競った、児童手当の充実、教育の無償化、医療費の無償化など、財源を要する政策こそ国会において急いで実現しなければ、見えない国難とも呼ばれる超少子化の解消は到底無理でしょう。

言いっぱなしの選挙公約ではないはずです。

こどもまんなか、こどもファーストの日本を実現するための、与野党の本気の政策論争が急務です。

超少子化の中で国家の急速な衰退がもはや視野に入っている段階です、この期におよんで政党政治が子どもたちのための財源・人件費・こども基本法から逃げることは許されません。

全政党が日本国と、日本の子どもたちの未来を明るく確かなものにしていくために、実力を発揮いただくのみです。