上司に“勇気ある”直訴
上司の言う通り、まずは仕事相手をよく知ることが大事だと実感。その後、法人営業の仕事が楽しくなったが、5年後に経営企画部に異動となった。2度目の想定外の辞令に対し、上司に「私はここにいるより法人営業で稼いでいるほうが会社の役に立つと思います」と“勇気ある”直訴をすると、上司は「会社は長いキャリアパスを考えて異動をさせる。あなたがここに来たこともきっと将来役に立つので、頑張ってほしい」と答えてくれた。
「人事異動は自分の思い通りにならないものですが、それには意味があったのだとようやく理解しました」
会社全体へと目が向くようになったのはそこから。その後、37歳で出産。育休明けに復帰すると、今度は財務企画グループ部門の管理職に。しかし、財務の知識がなく、部下たちが財務用語で何を言っているかもわからない状態だった。短時間勤務制度もなかった頃で、夫は海外赴任中。ワンオペ育児をしながら必死に勉強する日々が続く。
「合併を控え残業が多かったので、ベビーシッターさんがどんどん辞めていってしまい……。子どもが病気になり1週間続けて会社に行けない時期もありましたが、初めての管理職と初めての育児が重なり、落ち込んでいる暇もなかったです」
子どもが保育園に入ってからも、誰がお迎えに行くか、その後どうするか。毎日のオペレーションを組むのにひと苦労。それでも、会社を辞めることは1度も考えなかった。逆に、仕事が楽しいからこそ思い通りにならない育児も頑張れたという。
立ち上げた排出権事業はリーマンショックで撤退
そして、合併後はフロンティア戦略企画部へ。新事業としてCO2排出権ビジネスを軌道に乗せようとした。共著で書籍も出版するほど環境問題の知識を身につけたが、リーマンショックの余波で市場が縮小。事業撤退することになってしまった。
「それは衝撃でしたよ。キャリアの中で最大のピンチ。将来を見据え立ち上げる新規事業には、こういうことがあるんだと思い知りました」
当時は環境問題が今ほど切実な課題ではなく景気後退とともに市場が縮小したが、現在はSDGsが脚光を浴び、再生可能エネルギー市場も拡大。事業自体は正しかったと自負している。
2016年に女性初の執行役員となり5年。三菱UFJフィナンシャル・グループ全体で見てもまだ女性役員は珍しいが、課長、部長クラスの女性は増えてきた。業務経験を積んだ女性が増え、その前の段階でも女性がアサインされる業務領域が広がり、難易度も上がっているからだと考える。
「女性が少数派のうちはどうしても“特別な存在”になりがちかもしれませんが、数が増えてくることで“普通の存在”になり、女性にとっても上司や周囲にとっても相対的にやりやすくなるはずです」