今年、日本ミステリー文学大賞新人賞を受賞した茜灯里さんは、高校生のときに、「科学エッセイを書く」という目標を立てたと言います。そのためにエスカレーターで入った大学を辞め、「1年だけ」と親に頼み込んで東大を目指すことに。合格を勝ち取った勉強法とは――。
目覚まし時計と本
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いくつもの顔を持つ小説家

時は2024年、再び東京で開催されたオリンピックにて、「新型馬インフルエンザ」が発生。さらにそれらが変異し、未知なるウイルスが現れて――。そんなタイムリーかつセンセーショナルな小説『馬疫』にて、話題を呼んでいる茜灯里さん。大学教員であり獣医師、さらに小説家という肩書きも手に入れた“華麗なる人生”と思いきや、これまでの来し方はあまりに波瀾万丈。その「まっすぐではない生き方」に宿る、深き人生訓とは。

――「第24回日本ミステリー文学大賞新人賞」を受賞した茜さんの近未来小説『馬疫』には驚かされました。舞台は2024年、パンデミックのさらなる猛威でパリ五輪が中止になり、再び東京にてオリンピックが開催。そこで馬の感染症が発覚し、人々が翻弄されるなか、若手研究者たちが立ち向かっていくというストーリーです。

【茜灯里さん(以下、茜)】私は「科学コミュニケーション」を専門とする大学教員であり、馬術で世界を転戦した経験を持つ獣医師でもあります。そんな自分だからこそ書けるものは何か。そこをじっくり突き詰め、しっかりテーマを絞って書き上げました。小説を書くことは、若いころからの夢。「無類の科学好き」かつ「科学を伝えることに愛を注ぐ」自分ならではの作品に仕上がったと感じています。

――茜さんは大学卒業後、朝日新聞社へ入ったのち、宝石鑑定識別機関の研究員や科学ジャーナリストを経て、大学教員、獣医師、そして小説家という道を歩まれています。

【茜】その経歴を見ると、迷走っぷりもいいところですね(笑)。でも私の中で不思議と違和感はないんです。自分の「根幹」を成長させるために「枝」を増やしたと言えばいいのでしょうか。私にとって「根」は「科学が好き」、「幹」は「その楽しさを人々に伝えたい」、そして「枝」は「伝えるための手段」。数々の経験が、幅広い視野と深い知識をもたらしてくれたと考えています。

自然科学に救われて生きてきた

――その「根」である「科学が好き」という思いはいつごろから、どのように芽生えてきたのでしょうか。

【茜】それは幼少期の記憶にさかのぼります。私は芸術分野に身を置く両親の元に生まれ、音楽やバレエなどの芸術教育をたくさん施してもらいました。でも残念ながら、それらに情熱を傾けることはできなくて。ただひとりっ子ということもあり、「親の期待に応えるいい子」を演じ続け、ずっとストレスをためてきたんです。そのころですね。流れる雲、煌めく星、美しい石……無機質で雄大なもの、いわゆる自然科学が私の心を慰めてくれました。地球46億年の歴史に比べれば、自分なんてちっぽけなもの。今の悩みなんて大したことじゃない。そんなふうに考えることで、救われて生きてきたんです。

――では「幹」である「伝える」ことを意識し始めたのは?

【茜】中学時代、むさぼるように読んだアイザック・アシモフによる科学エッセイです。お小遣いで1冊ずつ買い足して読み進めるうちに、「私が全身で感じてきた自然科学の素晴らしさを、エッセイにしていろんな人に伝えたい」と考えるようになった。思えば、それが私と文章との出合いでした。