「迷惑系ユーチューバー」とどこが違うのか

匿名掲示板「2ちゃんねる」創設者のひろゆき氏が、自身のYouTubeチャンネルで、京王線のジョーカーを以前からの持論に沿って「何も失うモノのない“無敵の人”」であると指摘している。近年では京王線ジョーカーが着想を得たと言われる小田急線刺傷事件の他に、凄惨な火災と多数の死者を出した京アニ事件、川崎市登戸通り魔事件、秋葉原無差別殺傷事件、附属池田小事件、海外でも周囲を巻き込んだ末に犯人が自らを撃って自殺する数々の銃乱射事件など、窮乏や孤独とナルシシズムを動機とする「自爆系テロ」は枚挙にいとまがない。

「ヤバい」の意味が「最高」と「危険」の両極端に振れることに違和感を持たない時代には、「いけない」という概念は薄い。危険な(ヤバい)ものほど最高(ヤバい)。見せたいから見せる。見たいから見る。その感覚の延長で、動画投稿サイトは時々炎上というお灸を据えられながらも括弧付きの「言論の自由」を謳歌し、洗練や鍛錬やプロフェッショナリズムとは正反対の発想で一獲千金を夢見る素人たちの雑多な作品が量産される。「見る人さえ多ければ儲かるんだから正義ですよね、何か?」の時代に、倫理道徳や人生哲学なんて口にするだけむなしい。

そう考えてみれば、この京王線ジョーカーと「ヤバいことやってみたら、もしかして(数字が)ハネるかも」とワンチャンに賭ける迷惑系ユーチューバーとの間に、どれほど大きな違いがあったというのだろう。あるいは、これまでのどの時代にもどの社会にも一定数いた自意識過剰な劇場型犯罪者や自爆テロリストや通り魔たちに比べて、何が新しいというのだろう。

スマートフォンの画面に各SNSのアイコンが表示されている
写真=iStock.com/stnazkul
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