明暗を分けた“お世継ぎ”問題
就労経験なく若い時に学生結婚し、子育てに励む紀子さまと、外務省に勤務していたバリバリのキャリアウーマンだった雅子さま。この2人の生き方は正反対に見え、「『女性の生き方』はどうあるべきか」という問題を、それぞれに仮託しやすいのである。
しかし、なによりも雅子さまにとって誤算だったのは、すぐにお子さまに恵まれなかったことだろう。皇室に入っていなければ、「DINKs(共働きで子どもを持たない夫婦)という生き方もある」と言われたかもしれないが、あらためて皇太子妃の役割は、まず子どもを産むことであると気づかされた。それを浮き彫りにしたのが、雅子さまと紀子さまの存在である。
報道から察するに、雅子さまは自分の保身をあまり考えない、のんびりとした方なのだろう。上皇陛下が「(お世継ぎを)国民が待っているからね」とお声がけされたときに、雅子さまが気色ばんだという報道があった。それは一般の女性の偽らざるを本音であるし、端的にいえば、一般社会では「マタハラ」である。
しかし、“お世継ぎ”を産むことは、実は皇室での雅子さまの地歩を固めることにもなる。計算高いひとなら、まずそれを考えるだろう。子どもを望まれながらも、そういう思考法をされない雅子さまは、実に人間らしい方なのだという印象を受ける。
皇室で「男児を生む」ということ
一方、紀子さまは、かつて「どうしたら男の子を産めるのか」と主治医に聞いたと報道されていた(のちに、紀子さまの発言ではなかったと訂正された。が、そういう発言をされたと聞いても、違和感はない)。男児が不在の皇室で、男の子を産むことは、母としての自分の存在を確かにするものである。事実、紀子さまが悠仁さまを産んだことで、再び紀子さまの存在感は増した。
紀子さまが浮き彫りにしたのは、いくら学歴があって華麗な経歴があったとしても、少なくとも皇室のなかでまず女性に求められるのは、男児を産むことだという、身も蓋もない、胸の痛む事実である。
このまま「やっぱり女性の本分は子どもを産むこと」ということで、紀子さまが逃げ切るのかと思いきや、どんでん返しとなったのが、眞子さまの婚約騒動である。