紀子さまの評価がどう変わるのか
4年にわたる眞子さまの婚約騒動に、なんとか結婚というかたちで、目処がつきそうである。とりあえず、ホッとした。
それと同時に私の頭に浮かんできたのは、「この結婚騒動が決着したら、紀子さまの評価はどう変わるのか」という疑問である。
2006年に悠仁さまを出産されてから、紀子さまは「国民が心配している後継ぎ問題を解決した」と、人気がうなぎのぼりだった。「皇室における理想の女性」と褒めたたえられてきたが、眞子さまのこの婚約騒動から「子育てを失敗した」と評価が変わりはじめた。
一方、2019年に今の天皇皇后陛下へと代替わりしてからの雅子さまの華麗な「皇室外交」デビューに、国民は「さすが雅子さま」と舌を巻いた。皇太子妃時代には、「そんなにまでして海外に行きたかったのか」と批判にさらされてきたことなど、まるでなかったかのような評価の変わりようである。
雅子さま人気と紀子さま人気の関係
皇室をめぐる反応で興味深いのは、雅子さまと紀子さまの人気がシーソーゲームのような関係にあることだ。「あなたは雅子さまが好き? それとも紀子さまの方が好き?」と聞くと、とくに私の年代の女性たちは、非常に饒舌になる。そして、雅子さま派、紀子さま派と、女性のなかでは、はっきりと「贔屓」が分かれる傾向がある。「どちらも好き」という人は、意外に少ない。
おそらく私たちは、このお2人に「女性はいかに生きるべきか」という女性のロールモデルを見出しているのだろう。そもそもこれまで、いち宮家の妃でありながら、紀子さまほどに注目された人はいない。それはまず、紀子さまの結婚の事情が大きく影響している。
「3DKのプリンセス」紀子さま
昭和天皇の喪中という暗い時期に、皇太子の弟が結婚するというニュースは、当時、非常に明るい話題として受け入れられていたように思う。紀子さまが、基本的にはノーメークにも見えるような装いであるとか、実家の川島家にはテレビがないとか、職員宿舎に住んでいらっしゃるとかいうことが、バブルの狂乱の時代のなかでとても新鮮に映った。「キャンパスの恋」で出現した、若く清楚な女性に皆は色めき立ち、「紀子さまスマイル」は皆を虜にした。
戦後、美智子さまが初めて「平民」から皇室に入り、「開かれた皇室」のシンボルとなった。しかし、軽井沢での「テニスコートの恋」は、庶民の生活からはかけ離れた、仰ぎ見るようなものであったし、美智子さまは平民といえども、立派な社長令嬢であった。
それに比較すれば、「3DKのプリンセス」と呼ばれた紀子さまは、本当に私たちと地続きの、庶民と皇室を結ぶ絆だったといえよう。
そうしたなかで、若い夫婦の結婚や子育てのニュースは、テレビや週刊誌をにぎわした。2003年ごろの雅子さまのご静養以降、女性週刊誌の巻頭の皇室ニュースはめっきり減ったが、雅子さまのご結婚までは、女性週刊誌の巻頭は、美智子さまと秋篠宮家の話題で占められていた。当時の皇太子の結婚がなかなか決まらないのは、「紀子さまが完璧すぎるからだ」という報道すらあったと記憶している。
「外務省勤務のキャリアウーマン」雅子さま
難航した「皇太子妃選び」が雅子さまで決着がついたとき、国民からは「こんなすごい人が」とため息が漏れた。皇太子妃の条件として、容姿端麗、皇太子より身長は低いこと、皇太子妃に上司がいるのは不適切であるから就労経験はないこと、外国語が堪能で、楽器が得意で、もちろん親族にも問題のない人、等というものがあった。雅子さまは、外交官だった父親の転勤についていき、海外暮らしも長い。アメリカの名門ハーバード大学を卒業し、東大に学士入学し、英語を初めとする外国語を何か国語も使いこなしている。「こんなすばらしい人が皇太子妃に」と国民は熱狂した。
さらに雅子さまは、外務省に勤務しており、その時点では皇太子妃候補の条件からは外れていたバリバリのキャリアウーマンだった。「雅子さまが皇室に入るのはもったいない、いや、雅子さまなら伝統を変えてくれるのだ」という議論が白熱した。紀子さまに代わって、今度は雅子さまが、皇室における「新しい女性」の象徴となったのである。
明暗を分けた“お世継ぎ”問題
就労経験なく若い時に学生結婚し、子育てに励む紀子さまと、外務省に勤務していたバリバリのキャリアウーマンだった雅子さま。この2人の生き方は正反対に見え、「『女性の生き方』はどうあるべきか」という問題を、それぞれに仮託しやすいのである。
しかし、なによりも雅子さまにとって誤算だったのは、すぐにお子さまに恵まれなかったことだろう。皇室に入っていなければ、「DINKs(共働きで子どもを持たない夫婦)という生き方もある」と言われたかもしれないが、あらためて皇太子妃の役割は、まず子どもを産むことであると気づかされた。それを浮き彫りにしたのが、雅子さまと紀子さまの存在である。
報道から察するに、雅子さまは自分の保身をあまり考えない、のんびりとした方なのだろう。上皇陛下が「(お世継ぎを)国民が待っているからね」とお声がけされたときに、雅子さまが気色ばんだという報道があった。それは一般の女性の偽らざるを本音であるし、端的にいえば、一般社会では「マタハラ」である。
しかし、“お世継ぎ”を産むことは、実は皇室での雅子さまの地歩を固めることにもなる。計算高いひとなら、まずそれを考えるだろう。子どもを望まれながらも、そういう思考法をされない雅子さまは、実に人間らしい方なのだという印象を受ける。
皇室で「男児を生む」ということ
一方、紀子さまは、かつて「どうしたら男の子を産めるのか」と主治医に聞いたと報道されていた(のちに、紀子さまの発言ではなかったと訂正された。が、そういう発言をされたと聞いても、違和感はない)。男児が不在の皇室で、男の子を産むことは、母としての自分の存在を確かにするものである。事実、紀子さまが悠仁さまを産んだことで、再び紀子さまの存在感は増した。
紀子さまが浮き彫りにしたのは、いくら学歴があって華麗な経歴があったとしても、少なくとも皇室のなかでまず女性に求められるのは、男児を産むことだという、身も蓋もない、胸の痛む事実である。
このまま「やっぱり女性の本分は子どもを産むこと」ということで、紀子さまが逃げ切るのかと思いきや、どんでん返しとなったのが、眞子さまの婚約騒動である。
紀子さまの子育て、雅子さまの子育て
「秋篠宮家の子育ての失敗」「このような宮家から、将来の天皇が出せるのか」「紀子さまと悠仁さまとの親子密着」……。婚約騒動によって、眞子さまが学習院大学を進学先に選ばなかったこと(「もし学習院に行っていれば、眞子さまは小室さんと出会わなかったのに」)を含め、紀子さまの子育てがやり玉に挙がった。
それに対して、雅子さまは華麗な皇室外交が評価され、愛子さまがすくすくと育ち、現在学習院大学で日本文学を専攻されていることが評価されている。国民の間では、「ぜひ、愛子天皇を」という待望論も盛り上がる。雅子さまは、2019年の即位の関連行事で、大粒の涙を流されていたが、それすら「人間らしい皇后さま」という評価を受けた。雅子さまが人前で感情を露わにすることは、かつては批判の対象となっていたのに。
つきまとう「母」の役割への評価
女性に期待される、子ども、とくに男児を産むという役割では、紀子さまは圧勝した(断っておくが、不妊は女性の側に原因があるとは限らない)。しかし、子どもを産むことだけが、母の評価の対象ではない。子育てという側面で評価されれば、今度は雅子さまの圧勝のように見える。
良くも悪くも、皇室に入った女性たちは、「母」という役割の評価から逃れられない。それは実は、私たちの年代の女性たちに付きまとってきた評価でもある。だから私たちは、雅子さまや紀子さまの報道に熱狂するのではないか。
こういう話を、私が教えている大学の学生たちにすると、「皇室には関心がなかったからまったく知りませんでした」「おばさんたちは、皇室報道が好きですよね」と言う。彼ら、彼女らは、皇室にはまるで関心を持っていないことがわかる。今の若い世代には、母であることの呪縛や、女はどう生きるべきかというプレッシャーが少ないからなのか。それとも年代が上がればまた、母親であることの圧力に、彼らも直面するのだろうか。