父母と同じ「キャンパスの恋」の成就
2017年から4年にもわたった秋篠宮眞子さまの婚約騒動。お相手の小室圭さんをめぐって、さまざまな報道があったが、ようやく一段落しそうだ。これまで明らかに国民の多くが、このカップルを「祝福」する状態からは遠かった。「ほかにいい人はいるだろうに」という感想がSNSなどに踊っていたが、眞子さまの立場になってみれば、小室さんは唯一無二の人であるのは間違いない。
正直に言えば、お2人の婚約が内定したときには、ちょっと拍子抜けしたものだ。父母である秋篠宮夫妻と同じように、同じ大学での「キャンパスの恋」である。さらに、小室さんはある意味、現代の若者の代表のような人でもある。シングルマザーに育てられることも、給与がそれほど多くないことも、現代ではいたって「普通」だからだ。見方によっては「格差婚」ともいえる。しかし、それを問わない好意的なお祝いムードに、意外な気すらして、ほほえましく思ったものである。
ところが、小室圭さんの母親の「借金問題」が報道されるにしたがって、小室さんへの風当たりは厳しくなっていった。そうしたなかで「もっといい人がいるのになんで」という声は、さらに大きくなっていったように思う。
眞子さまが唯一、持っていなかったもの
ここで多くの人が「もっといい人がいる」といったときの「いい人」とは、どういう人であろうか。おそらく、社会的に地位のある人であり、学費のための借金をしなくてもいい人であり、よき親族に恵まれた人を指すのだろう。しかし眞子さまの立場からすれば、それらは何の意味も持たないのではないか。
眞子さまはすでに、ご自身が社会的な地位をお持ちだ。小さな頃から金銭的に不自由なく暮らし「借金をする」生活からは無縁である。ただ、眞子さまが唯一持っていないものがある。「自由」である。