「学校に来させること」を絶対視しない
昨年、私の関わる学校の校長先生がこんなことをおっしゃっておられました。
コロナ禍や一斉休校の経験から学んだのは、これからは新型コロナウイルスだけではなく、インフルエンザやほかの感染症や災害にも積極的に備えていくことが大切だということ。
そして学校に来る、来させることを絶対視しない、具合が悪くても、学校が合わなくても無理せず休めることのほうが、児童生徒にとっても保護者にとっても、安心できる学校になる。
そしてこれまでの課題学習、手紙や電話だけでなくオンラインでつながりをもてることをあたりまえにしていきたい。
私が関わる範囲でも、いま、このような考え方が、学校や教育委員会に広がりつつあることを実感しています。
いままでオンライン授業には冷淡だった自治体が、オンライン授業に対応できるようになったことも、もしかして「学校は休んでもいい」という発想が少しずつ共有されるようになったからかもしれません。
「休めない企業文化」を変えていけるか
もちろん多くの児童生徒にとって、学校はかけがえのない居場所であり、学びの場です。
しかし、考え行動できる大人ほど、学校に来させることがあたりまえ、「学校を休めない」ことが当たり前だったコロナ前の学校文化や、同調圧力の限界も感じ、そこから進化しようとしているのです。
「学校は休んでもいい」、できる形でつながり学ぶ。そのほうが、より多くの児童生徒が安心し、安全が保たれる学校になるからです。
「学校は休んでもいい」、その発想が学校も社会も強く生きやすくするのではないでしょうか。
日本の大人や企業も、デルタ株収束を阻害する「休めない」企業文化を変革し、同調圧力をなくし、「休んでもいい」という方向に変われるでしょうか。
日本という社会の生き残り戦略としても興味深く見守っています。
1974年、山口県生まれ。京都大学教育学部卒業。同大学院教育学博士課程単位取得退学。博士(学術・神戸大学大学院)。内閣府子供の貧困対策に関する有識者会議構成員、文部科学省中央教育審議会委員等を歴任。専門は教育行政学、教育財政学。主著に『子育て罰 「親子に冷たい日本」を変えるには』(光文社新書・桜井啓太氏との共著)、『教育費の政治経済学』(勁草書房)など。