他国で開催される大会と変わらない

【原田】皆さんの大部分は割としっかり競技を見て、選手を応援したりして楽しんだようですね。開催前は反対だった人も、始まってみるとやっぱり見て応援して盛り上がったと。ただ、皆さんが言うように今回の五輪は問題続きでした。1964年の東京五輪は「戦後日本の復興の証し」といった形で語り継がれているけれど、今回の五輪は後世にどう伝えられるのか。将来、皆さんが子どもや孫に「こんな五輪だったよ」と伝えるとしたら、どんな言葉で表現しますか?

【土井】確かに楽しかったけど、皆で集まって盛り上がることもなく、ただテレビやネットで見るだけだったので、「バーチャルオリンピック」かなと思います。その意味で、東京じゃなくて他国で開催される大会と変わらない大会でしたね。

【矢追】僕は「SNSオリンピック」ですね。今回は選手が色々な画像や動画を上げてくれて、意外な素顔や裏舞台を見られて本当に楽しかった。選手との距離が近いように感じられて、個人的にはいい五輪だったなと感じています。

日本がダメになっていく様子を強く感じた

【鈴木】僕は「衰退五輪」ですね。1964年の五輪は経済成長とか、何か日本が上昇している様子の象徴だったと思うんですけど、今回は五輪をきっかけにさまざまな問題が明らかになって、逆にダメになっていっている様子を強く感じました。世界に日本のいいところをアピールしようとしていたはずなのに、ダメなところばかり出てきて、皆が「日本って大した国じゃなかったんだ」って気づいてしまった感じがします。

【山崎】この五輪をきっかけにいろいろな膿が全部出て、ここから日本の政治が変わっていったんだよって伝えられたらいいな。その願いを込めて、私は「きっかけオリンピック」です。そうなれたら、この問題だらけの五輪にも少し意味があったのかなと思います。

【國武】1964年の五輪はこの先も折に触れて思い出したいものかもしれませんが、今回は「忘れたいオリンピック」。私は将来、子どもにどんな五輪だったか聞かれたら、きっと「聞かないでよ、忘れたいんだから」って言っちゃいますね。

【森】IOCに迎合しまくったという意味では「ご機嫌取りオリンピック」が露呈していたかなと思います。あと、結局はお金重視だったっていうところで「商業主義オリンピック」。一方で、選手はコロナ禍で大変な中すごく頑張っていたので、子どもには「いろいろよくない点があった」と言いつつ、でも選手たちは頑張っていたよってことは必ず伝えたいです。

【原田】印象的な言葉がたくさん出ましたね。今回の五輪では、若者はスポーツの力や選手の頑張りは素直に受け止めているけれど、一方でいろいろな真実が見えてきて、政治や日本の問題をより強く感じ始めているようですね。次回は、たくさんあった問題の中でも特に許せなかったことや、今後どうすべきだと思うかといった点を聞いていきたいと思います。

構成=辻村 洋子

原田 曜平(はらだ・ようへい)
マーケティングアナリスト、芝浦工業大学教授

1977年東京都生まれ。慶應義塾大学商学部卒業後、博報堂入社。博報堂ブランドデザイン若者研究所リーダーを経て、現在はマーケティングアナリスト。2022年より芝浦工業大学教授に就任。2003年、JAAA広告賞・新人部門賞を受賞。主な著作に『ヤンキー経済 消費の主役・新保守層の正体』(幻冬舎新書)、『パリピ経済 パーティーピープルが経済を動かす』(新潮新書)、『Z世代 若者はなぜインスタ・TikTokにハマるのか?』(光文社新書)、『寡欲都市TOKYO』(角川新書)、『Z世代に学ぶ超バズテク図鑑』(PHP研究所)などがある。