※本稿は、勝間和代『健康もマネーも人生100年シフト! 勝間式ロジカル不老長寿』(宝島社)の一部を再編集したものです。
「老害」は何が悪いかわかっていない
老化というと、私たちはつい身体的な面ばかりを注目してしまいます。しかし、もっと怖いのは、身体よりもその中身の老化のほうです。
つまり、価値観や感性の老化です。もしくは、知覚や認知の老化、と言ってもよいでしょう。
私たちの社会というのは常に前進しています。10年前、20年前に比べて、ありとあらゆることがよくなっています。
多様性を尊重することや人権、人間の尊厳に対する価値観に対する老化は、最も典型的なものでしょう。ひと昔前だったら当たり前とされていたような発言や冗談も、今日ではパワハラやセクハラとされます。
私たちがなぜ、ある程度、年齢のいった人たちと話が合わなくなるかというと、こうした価値観が違いすぎるからなのです。そこには、老化の問題も大きく関わっているだろうと私は考えています。
日本オリンピック委員会の臨時評議員会の場で、森喜朗さん(当時、東京オリンピック・パラリンピック大会組織委員会会長)が、女性に対して「発言が多すぎる、わきまえていない」などという無防備な失言をしたことで、会長職を辞することになりました。みなさんも記憶に新しいことと思います。
私は、その後の釈明記者会見をたまたまリアルタイムで、テレビでずっと見ていました。
本人は何が悪いのかさっぱりわかっていない様子で、「謝れと言われたのでとりあえず謝っている」感が満載だったのです。
私は、森さんの肩を持つわけではありませんが、正直、気の毒だ、とも思いました。これまでの経験や業績を買われ、さまざまなスポンサーからお金を集めるために会長となり尽力してきたのです。
「老害」と一言で片付けてしまえば簡単な話ですが、会長としてさんざん、使われたあげくに、1回の失言であれだけ糾弾されたのですから、たまりません。
しかし、これも価値観の老化といえば、そういうことだと思います。