「手のひら返し」と呼ぶのは簡単だ

五輪開催中、「手のひら返し」「二枚舌」という言葉があちこちで散見された。

開幕前は五輪反対論、少なくとも五輪不安を報じていたメディアが、一転してどこもお祭り騒ぎ、記事や番組を次々と放出していく。もちろん彼らがプロフェッショナルとして、事前に十全に人材を組織し、企画していたものだ。それは「五輪をやるなら報じないわけにはいかない」ところから始まったもので、私はそのメディア人たちのギアチェンジを間近で見ていた。

五輪は開催すると決まった。朝の情報番組でも、舞台装置が一斉に五輪色になり、五輪モードがキックインし、出演者は選手への応援メッセージを口にする。ウェブや紙メディアでも次々と五輪企画が始まり、編集者たち、書き手たちが粛々と原稿を書く。約50年ぶりにやってきた東京五輪という歴史的な瞬間に居合わせた人間として、彼らが自分のモードを変え、ベストを尽くすことに集中していったのを、私はそれもプロフェッショナリズムだと思う。

政治家たちが、五輪開催を決めた。あらかじめ準備されていた予算や企画が(はるか)上方で動き出す。ならば、自分たちにはそれを報じる仕事がある。賛否ある困難な状況の中で、自分がアサインされた仕事をどうやり遂げるか。報じる人々も、組織人として相反する気持ちの中で葛藤していた。

「どんな顔して批評すればいいのか」

例えば、NHKや民放など所属の垣根を越えて五輪の実況やインタビューなどを担当するジャパンコンソーシアム(JC)に参加することになったフジテレビ・倉田大誠アナは、同じくJC組の森昭一郎アナ、フジの五輪キャスターに抜擢された宮司愛海アナとともに、配信限定の番組で五輪前の心情を語っていた。全員が「困難な状況での開催」と「そこに自分がアサインされたことの意味」を真正面から考え、日々努力を重ねていた。

倉田アナの実況は、ネットでも大評判となった。新競技スケートボード(ストリート)での、豊富な競技知識に支えられながらも極端に煽らない「ゆるい」実況は、リラックスした中でクールな技を決めるスケートボードのカルチャーを体現していたとも評価された。「13歳、真夏の大冒険!」との名実況はSNSで大人気を博し、愛すべき偉大なる解説者・瀬尻稜氏とのオフビートな掛け合いについてもあちこちのウェブメディアで二次的な記事が書かれたが、あれは報道や情報番組の放送当事者として世論に十二分に触れる倉田アナなりに考え抜いた、複雑な背景を抱える「2020東京五輪」ならではの、極めてクールな実況のあり方だったのだろう。

五輪反対を唱えていた立川志らく氏が、五輪開幕後に開会式の感想を聞かれて「どんな顔して批評すればいいのか」と正直に吐露したとも報じられ、だが「選手は応援」との方針を崩さずにいたのも印象的だった。そう、当たり前だが、どれだけ五輪自体が政治的なものと言ったところで、オリンピックの舞台に上がって戦う選手たちの輝きを応援しない人など、誰一人としていないのだ。

海外メディアで皮肉に評された、無観客開会式での「ぬるま湯のような拍手」は、東京五輪を見つめる全ての人の複雑な思いをそのまま映したものでもある。