「見限られた」開会式

「日本はエンタメ二流国、センス悪い」「とことんグローバルサイズのエンタメが下手だよな」「全部、MIKIKOを降ろした電通のせい」「椎名林檎はどこ行った」「どうせ世界に通用するのはクールジャパンだけだったんだから、サブカル全力で世界の期待に応えればよかったんだよ」「日本でゲームと言ったらまず任天堂だろ。任天堂楽曲だけがまるっと不在なのは、前任チームの演出から任天堂を外して怒らせたから」。SNSで、視聴者の批評が沸き上がる。

昨年末にオリジナルの演出チームが解散、そこで潮目も演出方針も大きく変わってしまったと報じられた。あのオリジナルメンバーの顔ぶれなら、もしこの同じ状況でアリバイを作らされるにしても、もっと上等なトリック、上等な仕掛けで、上等な事件を起こしつつ巧妙なアリバイを企んだはず、と、心のどこかで夢を見る。ただ、オリジナルメンバーはもうそれに自分たちの創造性を費やすことに価値を見いださなかった。彼らがクビになったとか解散させられた、というのは手続き上の話。2020東京五輪のすったもんだを、ある意味、オリジナルの演出チームは「見限った」のだ。

去った人も、残った人もつらい

日本のエンタメを代表する錚々そうそうたる面々が去ったあと、漏れ聞こえてくる開会式周りの話は甚だお粗末だった。失言で誰かが降ろされたとか、直前に慌てて誰かと誰かが辞任したとか出演辞退したとか、ギリギリまで二転三転、日本全国が大騒ぎだったのは記憶に新しい。

そもそも開催自体に国内外から賛同も共感も得られないのだ。姿を変えて何度も襲ってくる地球規模の疫病という脅威、初めての経験、不安だったのはみな同じ。アサインされた制作チームも演者も、失敗前提、満身に批判を受けること前提で作らなきゃいけないストレスたるや、壮絶なものがあっただろう。

たぶん、降りた側の人々からしても、元々「できれば触りたくない案件」だっただろうことは、想像に難くない。そして、降りずに最後までその場に立ち続けた人たちも、最後まで自分の頭の中に自問自答の声が絶えることはなかったと思う。

東京五輪2020のイルミネーションが施されたスカイツリー
写真=iStock.com/Joel Papalini
※写真はイメージです