なぜ学校は学年で分けられているのか

系統的に教えられることがなくても、子どもたちがワイワイ言いながら、自分が興味のあるところから調べ、その結果を発表して共有する、共同化することを繰り返すうちに、必要なことを学べるようになるのです。

このような授業の形式であれば、個別化も共同化も、同学年である必要はありません。同学年でのクラス編成が一般的になっていますが、これは実は人間の社会から見ると非常に特殊な分け方です。現在の学校が学年で分けられ、教科によっては習熟度別に分けられている一番の理由は、先生が教えやすいという理由です。教えることを中心にクラスを編成すると、理解力が似通っている子どもたちをまとめたほうが効率的に教えられます。

そしてもう一つ、競争させやすいという理由もあります。同じ力を持っているはずだという前提で、競争をさせる意図もあるのでしょう。

しかし社会には、同じ年齢の人だけが集団をつくっていることはありません。家族も、会社も、地域社会も、多様な年代の人たちが一緒に暮らしているのです。人間の集団は本来、年齢の幅がかなりあるものですから、人工的につくった学校集団の学年は特殊な集団だと言えます。

日本の高校
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異年齢の集団での学び

たとえば小学校で、1、2、3年生を同じクラス、4、5、6年生を同じクラスにするとどうでしょうか。

勉強でも遊びでも、そこではさまざまな関係が生まれます。同じクラスの友達は競争相手ではなくなり、年上の子は年下の子に対して教え、配慮をし、年下の子は教えられ、憧れを持つことができます。ときには逆もあるかもしれません。自分が人の役に立つこと、感謝すること、感謝されること。異年齢の集団の中では、そのような斜めの関係が多様に生まれます。そのような関係の中での子どもたちの心の育ちや学びを促進する力は、同年齢の均一なクラスと比べ、とても大きくなるはずです。

先生が黒板の前に立って説明することなく、基本的にはこのような学習の個別化と集団化の原理で学校を作っているオルタナティブな学校もあります。もちろん、どうしても知っておいてほしいことについては、先生が面白おかしく授業をする時間もあるといいでしょう。シュタイナー学校などでは、どちらも大事にしています。

これからは、学校というもののイメージを「こうでなければならない」というものに固定せず、子どもを見ながら柔軟に変えていくこと、子どもたちが自分に合う教育の場を選べるようになることも考えていかねばなりません。