教育学者の汐見稔幸さんは、社会では同じ年齢の人だけが集団を作ることはほとんどないのに、学校だけで学年別のクラスを作っているのは特殊だと指摘。既存の学校の良さを残しながら、学校以外でも学べる仕組みが必要だと説きます――。

※本稿は、汐見稔幸『教えから学びへ 教育にとって一番大切なこと』(河出新書)の一部を再編集したものです。

手を挙げながら学童群の背面図
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一人で学ぶ、ほかの人と学ぶ

学校では、子どもたち一人ひとりの「もっとこれについて勉強したい」「こういうことができるようになりたい」という思いを形にできる時間が必要です。

それと同時に、自分が学んだことを他者に伝え、他者からの疑問に答え、他者の学びを聞いて面白そうだなと興味の世界を広げる時間も必要です。子どもたちが何か疑問を持ったときに語り合うこと。そして、その疑問について「面白いことを考えているね」と受け止め合うことが、これからの教育の場には欠かせません。

つまり学びの個別化と学びの共同化の原理が組み込まれていることが望ましいのです。

文部科学省の中央教育審議会も、「2020年代を通じて実現すべき『令和の日本型学校教育』の姿」(2021)として、個別最適な学び(個に応じた指導)、協働的な学び(多様な他者と協働する学び)を答申に挙げています。

理想的な教室のあり方

トーク&チョーク方式で先生が説明する授業が全く必要ないとは思いません。従来のような授業も行いながら、それとは別に、質のよい教材や問題集、テキストや実験材料などから自分に合うもの、自分がやりたいことを選んで自分で取り組むことができる時間を確保する。それを調べられるだけの資料やテキストが教室に用意されていることが、理想的な環境だと思います。タブレットなどが1人1台配布されましたから、その端末からアクセスできるように用意しておくことでもいいでしょう。

たとえばモンテッソーリ教育の小学校では、「人間はどのように進化してきたか」について必ず勉強します。教室には、ホモ・エレクトスやホモ・ハビリスなどの資料がたくさん用意されています。子どもたちは自分で興味を持って学び、「ホモ・エレクトスにはこんな特徴がある」「ここでホモ・サピエンスが出てきたんだよね」などと学びながら、各自が学んだことを発表して共有します。宇宙についても同様に学び、時間や空間の中で、人間はどのような存在なのかを一人ひとりが自ら学んでいくのです。

なぜ学校は学年で分けられているのか

系統的に教えられることがなくても、子どもたちがワイワイ言いながら、自分が興味のあるところから調べ、その結果を発表して共有する、共同化することを繰り返すうちに、必要なことを学べるようになるのです。

このような授業の形式であれば、個別化も共同化も、同学年である必要はありません。同学年でのクラス編成が一般的になっていますが、これは実は人間の社会から見ると非常に特殊な分け方です。現在の学校が学年で分けられ、教科によっては習熟度別に分けられている一番の理由は、先生が教えやすいという理由です。教えることを中心にクラスを編成すると、理解力が似通っている子どもたちをまとめたほうが効率的に教えられます。

そしてもう一つ、競争させやすいという理由もあります。同じ力を持っているはずだという前提で、競争をさせる意図もあるのでしょう。

しかし社会には、同じ年齢の人だけが集団をつくっていることはありません。家族も、会社も、地域社会も、多様な年代の人たちが一緒に暮らしているのです。人間の集団は本来、年齢の幅がかなりあるものですから、人工的につくった学校集団の学年は特殊な集団だと言えます。

日本の高校
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異年齢の集団での学び

たとえば小学校で、1、2、3年生を同じクラス、4、5、6年生を同じクラスにするとどうでしょうか。

勉強でも遊びでも、そこではさまざまな関係が生まれます。同じクラスの友達は競争相手ではなくなり、年上の子は年下の子に対して教え、配慮をし、年下の子は教えられ、憧れを持つことができます。ときには逆もあるかもしれません。自分が人の役に立つこと、感謝すること、感謝されること。異年齢の集団の中では、そのような斜めの関係が多様に生まれます。そのような関係の中での子どもたちの心の育ちや学びを促進する力は、同年齢の均一なクラスと比べ、とても大きくなるはずです。

先生が黒板の前に立って説明することなく、基本的にはこのような学習の個別化と集団化の原理で学校を作っているオルタナティブな学校もあります。もちろん、どうしても知っておいてほしいことについては、先生が面白おかしく授業をする時間もあるといいでしょう。シュタイナー学校などでは、どちらも大事にしています。

これからは、学校というもののイメージを「こうでなければならない」というものに固定せず、子どもを見ながら柔軟に変えていくこと、子どもたちが自分に合う教育の場を選べるようになることも考えていかねばなりません。

親世代は、下の世代から学ぶべき

いま、生産力を上げる競争をし、環境資源を破壊して、大きな問題をいくつも生み出してしまった20世紀のツケがあちこちに表出しています。いまある「正解」に疑問を持ち、考え続けることができる子どもたちを育てることができれば、彼らが大人になった頃、つまり、21世紀の中盤に差しかかると、いままでのやり方を大きく変えられる若い世代が間違いなく出てくると期待しています。

地球の裏側の情報も簡単に手に入る時代になったいま、子どもたちを地球全体の市民だと考えて教育を行わなければなりません。グローバル・シチズンシップ・エデュケーションの時代に突入しました。その一方で、小さなコミュニティをつくり直すことも必要です。若者たちはすでに動き出し、コミュニティづくりを進めています。

いま学校で教育を受けている子どもたちは、親の世代の感覚ではなく、すでに動き始めているZ世代(1990年代~2012年頃に生まれたデジタルネイティブの世代)の感覚をさらに進めていかなければなりません。親世代は、自分たちの下の世代から学ばなければならないのです。

教育は、「試され済みのことを教える」とよく言いますが、それは一つの側面に過ぎません。これからの時代を担う子どもたちを育てるためには、いまの時代より一歩先のことを体験させる必要があります。「試され済み」にこだわってしまうと、一世代前のことを教えることになり、子どもたちが求めている学びとのギャップが開いていきかねません。

「試され済み」や「正解」にこだわらず、正解がない中で「自分なりの解」をつくることの楽しさや面白さをたくさん体験させるにはどうすればいいかを考えることが、学校の役割なのだと思います。

午前中で終わる学校

私は午前中で終わる学校を提唱しています。午前中は国や自治体のカリキュラムで学び、午後は子どもたちが自分でカリキュラムを作って、学びたいことを学んでいくというシステムです。

いつの時代にも、読み書きできる力や、生活の上で必要な計算などは欠かせません。文章を読んで理解する力もつけなければなりません。生きていく上で必要な学びは午前中に行い、午後は、これから自分はどうやって生きていけば自分らしく生きられるかを見つけるための時間、自分のやりたいことを中心にやる時間にすることを提案したいと思います。

先生は学校の外にいる

いまでは、放課後、異年齢の子どもたちが地域で群れて遊ぶことや、子どもたちが家の仕事を手伝うことはほぼなくなりました。そのような体験は、学校で手にした知識と社会で生きていく力を結びつける大切なものでした。

汐見稔幸『教えから学びへ 教育にとって一番大切なこと』(河出新書)
汐見稔幸『教えから学びへ 教育にとって一番大切なこと』(河出新書)

クリック1つでなんでも手に入る時代、話しかけるだけでなんでも検索できる時代です。AI時代が進めば進むほど、人間にしかできないことが重宝されるようになっていきます。

地域の人たちが講師になって、幅広い世代の多様な人たちが学校に入り、手仕事や伝統芸能、洗練された質の高い職人文化などを伝える時間、自分で作る楽しさを体験できる時間を確保することもまた、これからの学校教育の担う役割となるでしょう。学校を解体しながら再生させていくイメージが必要です。

また、学びには正解はないとお伝えしましたが、当面どうするかを考えるためには、「適切解」を導き出さなければなりません。そのためには、徹底した討論をすることも大事にしなければなりません。正解がない問いに対しては、アイデアを出し合うしかありません。1人で考えるだけでなく、1人のアイデアをみんなで吟味し、みんなで議論すること、人の意見をしっかり聞き、人の意見と照らし合わせて、自分の意見を伝える。そういうことがますます大事になっていきます。

「デザイン力」と「アート力」

これまでの人類の歴史の中で、経験したことのない問題に関しては、答えはその都度、自分たちで考えていくしかありません。私はそうしたことのできる力を「デザイン力」と呼びたいと思っています。社会と対話しながら、解につながるアイデアを見つけていく、これがデザイン力です。

デザイン力に対応するもう1つの力は「アート力」。これは自分の感情をうまく形にしていく力で、自分との対話から生まれます。このデザイン力とアート力をセットにした力をこれからの問題解決力と言うとすると、それが可能になる学びは、前に触れた「深い学び」の1つになるのだと思います。

子ども同士での議論、世代を超えての議論、価値観や文化の違う人たちとコミュニケーションをとる経験もしておかなければなりません。多様な人たちが話し合いながら、これまでになかった新しいアイデアを創り出すことが、これからの人間には欠かせないのです。