会社が潰れることにリアリティーと危機感があった

今思うと、契約などがあり、すぐに解消できる問題ではなかったと思います。私の提案は机上の空論に過ぎなかったのかもしれません。でも、何かしないではいられなかったのです。

当時感じていたのが、他の社員と私との危機感の違いでした。私は、自分で『そらき』という店を築き、運営してきた経営者ですから、ブランドを築くことの難しさを知っていました。そして、赤字が続けば会社が潰れてしまうということにリアリティーがあったのです。

一方、社員の多くは、運営母体が替わり、ユニフォームやロゴ、看板などハード面が変わっただけでブランドに劇的な変化が起こると考えているようでした。会社とはあって当たり前で、なくなるわけがないと考えているようで違和感を覚えました。

何とかして「簡単にお客様の理解は得られない。それがなければ売上は上がらない。いつまでも売上が上がらなければ会社とはなくなるもの。いまの状況では、容易になくなってしまうところまで来ている」ということをわかってもらおうと必死だったのです。

「代表取締役」という予想外の展開

横浜駅で専務に電話をした時から約2カ月後の7月半ばに、レンブラントホールディングスの経営陣に呼ばれました。本部へ行くと、突然こう言われたのです。

「ドムドムフードサービスの取締役になってください。ついては代表取締役です」

“代表”取締役。この抜擢は予想外で、まさに青天の霹靂でした。ですが“意見の言える立場”を望んだのは私です。すぐに「わかりました。頑張ります」とお受けしました。

入社から9カ月後の8月1日、私は代表取締役となりました。その日は、奇しくも109で働き始めてからちょうど13年後でした。

常に不安を抱えて走り続けるのが私の仕事スタイルですが、不思議と、決断の時にそれが顔を出すことはあまりありません。『そらき』の開業も、2店目の開店も、ドムドムの代表取締役になることも迷いなく即決できました。

その後、やってしまったことの大きさに対して不安になり、自分でフォローアップしていくという感じでしょうか。

テレビ朝日の『激レアさんを連れてきた。』に出演させていただいた際、若林正恭さんに「次のステップに、ノーモーションで行きますよね」と言われましたが、その通りなんです(笑)。

社長に就任した以上は、結果を出さないといけません。お受けしたその日から、自分は何をするべきかを考え続けました。

藤﨑 忍(ふじさき・しのぶ)
ドムドムフードサービス社長

1966年生まれ。東京都出身。青山学院女子短期大学卒。政治家の妻になり、39歳まで専業主婦。しかし夫が病に倒れ、生活のために働き始める。最初はギャルブームの頃のSHIBUYA109のアパレル店長。店の売上を倍増させたが、経営方針の違いから経営者と対立し、退職。アルバイトでしのぐが、たまたま空き店舗を見つけ、居酒屋を開業。すると料理の美味しさや接客の良さで一躍人気店に。その腕を常連客に見込まれ、ドムドムのメニュー開発顧問に。「手作り厚焼きたまごバーガー」をヒットさせ、ドムドム入社。その後わずか9カ月で社長に。「丸ごと!!カニバーガー」などが話題になり、ドムドムの業績は確実に回復している。テレビ朝日系「激レアさんを連れてきた。」出演で話題に。