※本稿は、藤﨑忍『ドムドムの逆襲』(ダイヤモンド社)の一部を再編集したものです。
新店舗での苦い思い出
11月に入社すると、引き続き商品開発と、そのほかに接客のトレーニングマネージャーをして欲しいと打診を受けました。そこで接客について現場で学ぶために、12月に神奈川県厚木市に新しくオープンする店の店長を任されることになりました。
テナント契約などはすでに終わっていて、私は新店で店長としての実務を担います。学生時代に少しだけハンバーガーショップでアルバイトしたことはありましたが、正式なスタッフとして、しかも店長として働くのは初めてです。
グランドメニューのリニューアル作業は11月にピークを迎え、すでに終わっていました。
まずは厚木店の開店前に、別店舗で2~3週間にわたり、オペレーションを学びました。
本社の会議などもこなしながら、現場で厨房作業や接客スキル、クリンネスなどについてアルバイト店長さんに指導してもらい、身につけていきました。
とはいえ、まだ不慣れな私がいきなり新店を1人で切り盛りはできません。当面は店長経験者などベテラン社員にサポートしてもらいながら運営していくこととなりました。
絶対ドムドムを再生させたい
そうして迎えた厚木店オープンの日。まず、お客様がどれくらいいらっしゃるのか、ドムドムハンバーガーとしては数年ぶりの新店でしたので、参考にできるデータがありません。立地選定に加わっていればある程度、状況が読めたかもしれませんが、土地勘がまるでない厚木の新店です。どれだけ人が集まるのか見当がつきませんでした。
不安と期待を持って迎えた一番目のお客様は、小学校からの同級生でした。自動ドア越しに並んでいる姿を見つけ、胸が熱くなりました。行列の中に、のりちゃんの姿も見つけました。家族も次々と駆けつけてくれました。応援されることによって人は頑張れるものです。絶対にドムドムハンバーガーを再生させたいと、私は心から思いました。
初日に食材が足りず売り切れを出してしまう
幸い多くの人が訪れ、店は賑わいました。しかしオペレーションがうまく機能せず、ファストフード店なのに何十分もお待たせしたばかりか、食材が大幅に足りず、早々に売り切れてしまったのです。2日目、3日目も同様でした。
仕入れはベテランスタッフが担当していました。なぜこんなにも読み違えてしまったのか、「プロなのになぜなんだろう」と疑問に感じました。最盛期の400店舗には比べようもありませんが、全国に30店舗以上(当時)あったハンバーガーチェーンで10年以上経験された方たちが、初日とはいえこれだけの読み違いをしてしまう。その状況に驚きました。期待されていた商品を提供できず、大切な初日にお客様の信頼を裏切ってしまったのです。
せっかく来てくださったのに「売り切れです」と聞いて残念そうな顔になってしまうお客様を見ていて、申し訳ない気持ちでいっぱいになりました。
発注締切を失念する大失敗!
店長業務は、今まで仕事をしてきて初めて体力的に辛いと感じました。仕事が、というよりは墨田区から厚木市までの通勤が辛かったのです。店舗の営業時間は朝8時から夜11時まで。シフト制でしたが、ついつい私は残業してしまい、そうなると往復4時間かかる通勤時間がさらに辛く感じられました。
店舗運営は居酒屋時代とは違うことも多々ありましたが、お客様に安心安全で美味しいものをお出しして、明るい接客をする。その基本は変わりません。
とはいえ、慣れるまで戸惑ったこともありました。一番大変だったのは、食材の発注です。仕入れには自社システムを使っていて、食材は使いたい日の2日前に、見込みの数をたてて発注することになっていました。
居酒屋時代は毎日開店前に自分で食材を買いに行って、その日のおすすめメニューを考えていました。運営方法がまるで違うのです。
厚木店の場合は、食材は月水金が発注日、バンズは毎日発注で毎日届いていました。でも、ある日、バタバタしていて4時の発注締切を失念してしまいました。気がついて泣きそうになったことが2回ほどあります。大失敗ですよね。
その時は幸い、まわりの店舗に助けてもらい、ことなきをえました。
この時は、連続して3店舗開店する予定で、厚木店はその最初の店舗でした。開店初日の出来事や、原価や人件費の割り振り、スタッフ教育など店舗運営のいろはをベテラン社員に教わりながら、会社として新店を出すのは時期尚早だったのではないかと感じました。
まだ組織の足腰が弱く、筋肉が足りない状態だと思ったのです。
食材のデータをすべて数値化する
「常に不安があって状況に満足できない。その不安を解消するため、次から次へやることを見つけてこなしていく」というのが、109時代から変わらない私の仕事のスタイルです。当時、無休で働いていたのは休むと不安になるからでした。
ドムドムハンバーガーに入ってからもそのスタイルは変わりません。厚木店でもバンズなど食材を切らすことが不安でしたので、何個ずつ仕入れれば在庫がなくならないのか、データを取り、表を作成しました。毎日入荷するバンズと、隔日で入荷するレタスなどの食材についても必要数の違いなど、全て数値化しておこうと表を作りました。
これほど歴史のあるチェーンなのに、在庫管理のモデルケースなどは、データ化されていませんでした。私にはわからないことがいっぱいあって、不安を解消するためやるべきことがたくさんあったのです。
異動で自分がいなくなった後でも後任のスタッフが問題なく店舗運営できるよう、売上別の必要食材数など、いろいろなデータをまとめておきました。エクセルは今でも苦手ですが、その頃から少しずつ必要に応じて使うようになっていました。
スーパーバイザーとして東日本を飛び回る
おかげさまで厚木店はオープンから数カ月、売上は好調でした。そして私は18年4月から、スーパーバイザー(SV・統括エリアマネージャー)として東日本の店舗を担当することになりました。3月の決算の結果を受けて、会社全体が体制の見直しをすることとなったのです。
それまで営業部門は、社長の下に営業部長、その下にSV(東日本3名・西日本3名)という体制。そこをスリム化することになり、紆余曲折ありながら最終的に東日本と西日本それぞれ1名に絞ることが決定したのです。東日本担当として私に白羽の矢が立ち、西日本担当はグループ会社からの新任者でした。SVになり、東日本の店舗を忙しく飛び回って、運営のサポートをする日々が始まりました。
具体的には、まずは各店舗の人員の管理をします。シフトの管理はもちろん、ほかにも「今日は◯◯店のスタッフが足りない」と聞いたら、すぐに駆けつけて自分が店に入ったりもしていました。そのため全店のシフト表をプリントアウトして常に持ち歩いていました。SV時代はいつでも店に立てるように、小さめのスーツケースにスニーカー、ユニフォーム類、パソコンなどを入れて、大荷物で移動していました。
そのほかの仕事としては、原価率の管理、商品・クリンネスの管理、イベント企画など本部の意向を現場に周知すること、設備の保全管理、クレーム対応などです。
店長はもちろんアルバイトを含めたスタッフたちとコミュニケーションを取りながら、それぞれの店がスムーズに運営できるように心がけました。
店舗まわりのときは手紙を置いて帰る
SVとして各店舗をまわることが決まった時に、現場のスタッフが私に困ったことなどを相談しやすい雰囲気をつくることが大事だと思い、そのために何をしたら良いのか考えました。
まずは、店舗まわりの時、感謝の気持ちや従業員へのメッセージを伝える手紙を置いて帰りました。会えなかったスタッフにも言葉を添えるようにしました。
クレームがあった店舗宛に「皆、頑張っているけれど、クレームは一度起きてしまうと、皆がそうだと思われてしまいます。そこは改善しようね」などとメッセージを残し、ただ機械的にチェックしてまわるだけでなく、働いている人の気持ちを思いフォローしていくように心がけました。
各店舗とLINEで交流を持つ
効果的だったのが、店長さんたちと私でLINEのグループを作ったことです。
何か伝えたいことがあって電話しても、厨房で調理中だったり、カウンターで接客中だったら、出られないか、出られてもその作業を中断させてしまうことになります。急ぎの連絡を除いて、これは大変非効率です。またメールを送っても、現場で忙しく働いているとパソコンを開いてわざわざチェックすることもできません。でもLINEだったら、スマートフォンを開く一瞬で終わります。
例えば天気が下り坂で嵐が近づいていて「明日、嵐が来るのでお客様が減ると思います。仕込みの量に気をつけてください」と一言だけ伝えたい場合は、LINEで十分です。悪天候下での従業員の出勤状況確認なども、わざわざ電話する必要はありません。LINEで一言確認するだけで済みます。
そのような緊急を要しない、でも確認しておきたいということを、ひとつのプラットフォームに私が投げておけば、各々の良いタイミングで見て、リアクションすることができます。
効果的な販促方法を一瞬で共有
またアップされた情報は、メンバー全員が確認できるので、周知・統一がたやすいことも、LINEグループを作りたかった理由です。
例えば、新商品が発売されると、店舗では店内ポスター、メニュー表等を入れ替えます。
これをしないと、お客様に新メニューを紹介することができません。
それを写真に撮って「変更完了しました」とLINEで送ってもらいます。スマホで撮って送るだけなので簡単です。これがPCだとひと仕事になってしまいます。しかも年配の人だと、パソコンの扱いが苦手な場合も少なくありません。
挙がった写真は即座に共有されます。その結果、思わぬ効果が表れることもありました。
ある店長さんが自分で「Coming Soon」とPOPを作ってあしらい、発売1週間ぐらい前にポスターを掲示したのです。店長自ら考えた素晴らしい販促です。それが良いねと話題になり、追随する店が出てきました。
各店長がSVに直接メールで送っていたそれまでの運用ならば、SVへ「やりましたよ」と報告して終わりでした。でもグループLINEならば皆に見られると思い、自ずと新商品告知にも力が入りますよね。その結果、全店舗の告知方法の質がアップしました。
以前私がやってしまった発注忘れも「バンズがたりません」とグループにコメントを投げたら、「○○店から送りますよ」とレスポンスがついて即解決です。LINEグループがなかった時代は、まず店長からSVへお詫びの電話が入って、どうしましょうとなります。そして1店舗ずつ在庫確認の電話をして……と時間がかかることは明白です。
情報の共有と協力。何よりも店舗同士の横のつながりが生まれたのです。
私が絵文字をバンバン使うせいもあって、慣れてくると皆さんもフランクになって、距離が近くなったのも嬉しい効果でした。
閉店に立ち会って感じたこと
SV時代に5店舗、閉店作業に立ち会ったのも得難い経験でした。テナント契約の終了や赤字など閉店の理由は様々ですが、それぞれ長い歴史があって地元で愛されたお店です。
最終日には多くの常連さんが感謝を伝えに来店してくださいました。入社してまだ間もない私も、皆さんの愛を強く感じ、感謝の気持ちでいっぱいになりました。店舗の後片付けが終わった後は、がらんどうになったお店を見渡して、皆で涙ぐんでしまいました。
スタッフも長く携わっている人が多くて。そういう人たちに、申し訳ない、悲しい思いをさせてしまったという不甲斐なさも痛感しました。
いつの日かスタッフの皆さんに「私、ドムドムハンバーガーで働いていたのよ」と誇りを持って言ってもらえるように、良い店づくりをして、ブランドを育てていきたいと自分に誓いました。
あまりの赤字額に耳を疑う
SVになって1カ月ほどたった頃でしょうか、3月の決算についての情報が私の耳にも入ってきました。私は平社員でしたので、決算の時点では何も知らされていなかったのです。あまりのマイナス額に「えっ?」と耳を疑いました。
私は自分が店舗経営をしていたので、商売においては常に経営者目線になります。数字の意味がわかります。耳に入った数字が予想を大きく超える桁数のマイナスだったのです。
聞いた瞬間「これはダメだ」と思いました。先行きがまるで見えません。
私はドムドムハンバーガーに入社するにあたって、退路を断ってきた人間です。
経営していた居酒屋『そらき』ではたくさんの常連さんに「頑張って」と送り出していただきました。お客様に「来て! 来て!」と声をかけておきながら、来てくれた方たちに「じゃあね。私は次の仕事に行きますね」と自分のわがままで去りました。にもかかわらず、本当にあたたかい労いと応援の言葉をいただいて、今の会社に来たのです。もし戻るようなことになったら、その方たちに顔向けできません。順調に店を運営するのりちゃんにも「のびのびやっているから、もう二度と帰らないでくださいね(笑)」と冗談交じりで言われています。「独り立ちしなさい」と言ったからには、戻れません。
運命を変えた一本の電話
数字を聞いてしまうと、それまでSVとして経営陣と現場を行き来するなかで、少しずつ気づき始めていた会社の問題点がいくつも頭に浮かんできました。
経営陣がやりたいことが下まできちんと届きづらい状況でした。組織として風通しが良くない。私と同じ立場の人たちが、自分の意見を言えていない状況だったのです。
ミーティングに関しても、本当に数字の羅列でしかなく、問題点が頭のなかに入ってきません。「前年対比◯%、いくらの売上で、いくらで着地しました。原価率◯%、人件費率◯%、◯%の着地です。◯◯店が%落ちたので、改善したいと思います」とただ数字を読み上げるだけ。現場で何が起きているのか、問題点は何で、どうすれば改善できるのか。そういった実のある会議からは程遠かったのです。
厚木店をはじめとする3つの新店舗についても、赤字にもかかわらず、運営方法などの問題点に対する効果的な改善策が議論されていないと感じていました。
私には、このままだと本当に会社が終わってしまう未来が見えていました。何かしなければと焦りました。数字を聞いてから数日後、三ツ境店から金沢八景店に移動する乗換で横浜駅に降り立った際に、そのまま駅構内から専務に電話をかけました。
昼下がりで、ショッピング客や学生さんたちで駅構内は賑わっていたのを覚えています。電話がつながり、「どうしましたか」との問いかけに、私は一言、こう言ったのです。
「私を、意見の言える立場にしてください」
改善策をしつこく提案
切羽詰まった様子で「私を、意見の言える立場にしてください」と言う私に、専務は落ち着いた声で「それって役員になるということですよね。それは無理ですね」とおっしゃいました。「何の数字も出していないのに、それは無理です」と。
その言葉を聞いて少し落ち着き「まあ、そうだろうな」と思いました。同時に、全社的にそこまで落ち込んでいる時に、私が1人で数字を出すことは不可能だとも思いました。
ビジネスにおける数字とはいろいろな積み重ねの結果で出てくるもの。一朝一夕で逆転できるものではありません。
でもそれ以上、言葉が出てこず、私は「わかりました」と電話を切りました。
私はその後も諦めませんでした。数回にわたり、専務にメールで改善策を送りました。
再建の道筋を考えて、苦手なエクセルで収支予測表を作成して提出しました。運営会社が変わってから人件費が伸びている問題点などを指摘し、自分なりの改善策を提案しました。
また、物流コストを抑えるためにドミナント戦略を検討すべきとも提案しました。ドムドムハンバーガーは国内に店舗が点在していて、物流コストがかかってしまっていたのです。例えば当時、九州には2店舗しかありませんでした。そこへの物流コストがプラス何十万とかかっていました。遠隔地のため宅配便で配達していたので、余分なコストがかかっていたのです。
会社が潰れることにリアリティーと危機感があった
今思うと、契約などがあり、すぐに解消できる問題ではなかったと思います。私の提案は机上の空論に過ぎなかったのかもしれません。でも、何かしないではいられなかったのです。
当時感じていたのが、他の社員と私との危機感の違いでした。私は、自分で『そらき』という店を築き、運営してきた経営者ですから、ブランドを築くことの難しさを知っていました。そして、赤字が続けば会社が潰れてしまうということにリアリティーがあったのです。
一方、社員の多くは、運営母体が替わり、ユニフォームやロゴ、看板などハード面が変わっただけでブランドに劇的な変化が起こると考えているようでした。会社とはあって当たり前で、なくなるわけがないと考えているようで違和感を覚えました。
何とかして「簡単にお客様の理解は得られない。それがなければ売上は上がらない。いつまでも売上が上がらなければ会社とはなくなるもの。いまの状況では、容易になくなってしまうところまで来ている」ということをわかってもらおうと必死だったのです。
「代表取締役」という予想外の展開
横浜駅で専務に電話をした時から約2カ月後の7月半ばに、レンブラントホールディングスの経営陣に呼ばれました。本部へ行くと、突然こう言われたのです。
「ドムドムフードサービスの取締役になってください。ついては代表取締役です」
“代表”取締役。この抜擢は予想外で、まさに青天の霹靂でした。ですが“意見の言える立場”を望んだのは私です。すぐに「わかりました。頑張ります」とお受けしました。
入社から9カ月後の8月1日、私は代表取締役となりました。その日は、奇しくも109で働き始めてからちょうど13年後でした。
常に不安を抱えて走り続けるのが私の仕事スタイルですが、不思議と、決断の時にそれが顔を出すことはあまりありません。『そらき』の開業も、2店目の開店も、ドムドムの代表取締役になることも迷いなく即決できました。
その後、やってしまったことの大きさに対して不安になり、自分でフォローアップしていくという感じでしょうか。
テレビ朝日の『激レアさんを連れてきた。』に出演させていただいた際、若林正恭さんに「次のステップに、ノーモーションで行きますよね」と言われましたが、その通りなんです(笑)。
社長に就任した以上は、結果を出さないといけません。お受けしたその日から、自分は何をするべきかを考え続けました。